「本郷坂の上の雲」と題して本郷台地の坂にたちどまるシリーズをやってきた。
しかし、わたしは、間違っていた。
本郷台地と小石川台地を一緒にして本郷台地として捉えていた。違う。別々だ。
そもそも「本郷坂の上の雲」シリーズの1回目の「伝通院の坂」は「本郷」ではない。「小石川」なのだ。
そこで、「本郷」をとって「坂の上の雲」シリーズにする。
対象も、本郷の家から歩いていける、本郷台地、小石川台地、
さらに麹町台地、牛込台地、がんばって麻布台地まで、入れてしまう。
これからは。
ちなみに、東京の台地は、ぜんぶ、「武蔵野台地」の一部だ。
東京は、大きくは、西側の台地と、東側の川がつくった低地でできている。
ということで。
さっそく、きょうは、麹町台地の一部、「紀尾井の坂」に行ってきた。
やっぱ違う 紀尾井平河 別世界
このあたり 謀略動く 清水谷
見あげれば ドウユリメンバ ストローハツ
「紀尾井・平河の坂」は、先日この「たどまるけーすけ」でレポートした番町・麹町の先だ。
麹町台地から南側の赤坂に降りる坂だ。
まずここ。甲州街道の麹町の交差点を南に曲がって2本目を右に曲がると「清水坂」がある。
清水谷公園、ホテルニューオータニのほうに降りる坂だ。
この写真は、坂の途中から坂上のほうを向いて撮っている。
雲が速く流れている。時折、厚く黒っぽい雲もくる。パラパラっと雨粒があたることもある。
やがて三叉路に出る。この写真。
左に曲がると「清水谷公園」と「ホテルニーオータニ」に挟まれた坂で
「紀尾井坂」という名前がついている。谷になっているので「清水谷」ともいう。
正面も、曲がっているが「紀尾井坂」という名前で、四ッ谷の上智大学方面につながっている。
「紀尾井」とは、ここにあった紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の頭文字からとっているようだ。
「清水谷」へと曲がる。
左手の清水谷公園にはいる。
これは「大久保利通哀悼碑」。
明治の元勲大久保利通はこの地で1878年に暗殺された。
薩摩藩の頃からの親友西郷隆盛が西南の役で自害した翌年だ。
向かいに「ホテルニューオータニ」がある。大きい。
ザ・メイン、ガーデンタワー、ガーデンコートの3棟から成る。
これは、いわば本館のザ・メインだ。
これは、いわば新館のデーデンタワーと、ガーデンコートだ。
ガーデンタワーをみると、
ジョー山中が唄う「ママー、ドゥユリメンバー」のフレーズを思い出す、
西城八十の詩「あの麦わら帽子、どこにいったんでしょうね」からとった...。
ジョー山中も、映画の中で、ここ「清水谷」で、ニューオータニのストローハットを眺めながら殺される。
そういえば、高村薫の傑作国際謀略小説「リヴィエラを撃て」も、ニューオータニの庭園からはじまる。
「清水谷」はどうも血なまぐさい。
清水谷公園のすぐ南には、政治家がよく利用する懐石料亭「福田家」がある。
そういえば、この前にあるホテルニューオータニも政治家がよく利用する...。
清水谷の紀尾井坂を降り切ると、濠を挟んで、赤坂見附となる。
赤坂東急ホテルがむかしのままの姿をとどめている。
この濠を渡る前には、新しい大きな複合施設「東京ガーデンテラス紀尾井町」が建っている。
このガーデンテラス紀尾井町の中を東に通り抜けると「プリンス通り」に出る。
さらにすぐ東に並行して「貝坂通り」がある。
このあたり「平河町」で、政治関連の建物が多い。
たとえば、この「砂防会館」。政治家の会議室としてよく使われる。
この「都市センター」も然り。
戦争直後。わたしの父は清水谷公園の近くに下宿していた。
信じられない。ここに一般人が住むというイメージは出てこない。
紀尾井町、平河町は、政治色が強い。別世界という感じだ。










