地元の本郷菊坂を歩いた。
やっぱり、菊坂はいい。
江戸時代の大事件の痕跡から、
明治から昭和の生活感が濃厚に残っている。
武家屋敷の跡地ではなく、そのせいか、他の坂にありがちな大きな邸もなく、
百年前の庶民の暮らしぶりを肌で感じることができる。
坪内逍遥、樋口一葉、宮沢賢治、金田一京介...、文人たちがひょっこり顔を出す。
この地に住んでほんとうによかった。
ひょっこりと 逍遥、一葉、金田一
現在の本郷菊坂はこれ。
このところ多かった坂の上の積乱雲も減ってきたように思う。
本郷通りと春日通りが交わる本郷三丁目の交差点の近くから西にくだっていく狭い通りだ。
この通りの脇を川が流れていたようだ。水源は加賀前田家の屋敷の池、現在の東京大学の三四郎池。
東京大学「ブラタモリ」でタモリが歩いたときそう言っていた。
現在は、暗渠(あんきょ)といって、川を地中ら埋めて通しているようだ。
これがその暗渠の上の路。菊坂のすぐ脇を並行して通っている。
菊坂を途中まで降りたところに十字路の坂が出てくる。「本妙寺坂」だ。
江戸時代の明暦の頃。この本妙寺の人形の振袖から出火した火は、江戸中を焼いた。
「明暦の大火」とか「振袖火事」とか呼ばれ、
江戸は頻繁に大火事を出していたが、そのなかでも最大規模の火事だったようだ。
なんといっても、江戸城を焼き、天守閣が燃え尽き、以来天守のない将軍の城となったのだから。
わたしの家は、その本妙寺跡の上にある。
これが本妙寺坂だ。毎日坂の上の雲を眺めながら通っている。
ここからすこし降ったところの菊坂とその脇の暗渠路の間に、宮沢賢治の旧居跡がある。
「銀河鉄道の夜」。ネットの「よむべき100冊」の類いには必ずリストアップされている。
こんど読んでみよう。
この暗渠から南側は登り斜面で、小さな坂がたくさんある。
また、このあたりに文人たちはとくに集まっていた。
これは「炭団坂」(たどんざか)。
菊坂に向けて急坂になって転げ落ちた人もいることからそう呼ばれているそうだ。
炭団坂をのぼったところには「坪内逍遥」旧居跡がある、
坪内逍遥は、江戸時代から続いていた勧善懲悪小説にたいし、
写実主義のもと現実的な暮らしを書いてゆこうという宣言「小説神髄」を発表し、
以来、近代文学がはじまったと言われている。
これは「鎧坂」。江戸時代、ここに鎧づくり職人が住んでいたそうだ。
これはその近くの「金田一京助・春彦」親子の旧居。
京助は東大の民族学者でアイヌ民族研究で知られている。春彦は国語学者だ。
このあたりは、とくに、明治から昭和にかけての木造家屋がたくさんある。
たとえば、金田一京介の古い木造家の石垣のすぐ下の細い路地。
年季の入った木造家屋がびっしりと続いている。
この細い路地と別の路地が交わるところに、
お札の顔にもなった女流作家「樋口一葉」の下宿家がある。これだ。
古い井戸もいい感じだ。
そして、近くにある樋口一葉と縁が深いという「伊勢屋質店」。
白壁の蔵がいかにも質屋という感じだ。
伊勢屋質店の脇には「胸突坂」がある。
「胸突」という名の坂もいろいろなところにあるのだが、
ここもその名の通り急だ。
ここも、わたしは、毎日のように汗を流しながら通っている。
坂の多い本郷は「鍛えられる」まちなのだ。
この写真にも坂上に見えているが、のぼったところには「鳳明館」という旅館がある。
コロナ禍は閉めていた。もう開けてもよさそうなのに、まだ営業を再開した様子ではない。
近所に住む者として、
本郷を代表するレトロ感たっぷりの鳳明館の復活を心待ちにしている。












