きょうは、「本郷坂の上の雲」シリーズの4回目、「東大の坂」だ。

 

東大は 本郷、弥生 別容姿

東大門 下からみれば 馴染む顔

 

なんども見ているのだが、こうやって、あらためてたちどまって見ると、

東大は、本郷台地の上、つまり坂の上、の正門、赤門、龍岡門からみた容姿と、

台地の下、坂の下、の弥生門、池之端門からみた姿が、違って見える。

坂の上は、日本の頭脳の集積地、という威圧感のようなものがあるが、

坂の下からみると、馴染める学び舎、という親近感を感じる。

 

東大の本郷キャンパスと農学部の間の言問道りを東の根津に向かって歩いてゆく。

途中からゆるやかな下り坂になる。

この坂を「弥生坂」という。これだ。坂下のほうから撮った。

右手にあるのは農学部キャンパスで、

農作物の栽培をしている区画も確認できる。

この坂の途中に、「弥生式土器発掘ゆかりの地」の石碑がたっている。

この地は弥生町だ。ここで土器が見つかった。「弥生時代」はここから名づけられた。

 

この石碑あたりから右へ曲がり南方向に進むとゆるやかな坂をくだることになる。

「暗闇坂」というそうだ。暗かったからそう呼ばれたようだ。

でも、この名前は、「おばけ階段」と同じで、全国にたくさんあるのだろう。

坂の途中に東大「弥生門」がある。

しっかりした門構えだが、坂上の本郷台地の正門や赤門にくらべると仰々しくない。

その真ん前に、竹久夢二美術館と草間彌生美術館がある。

これも、格式張ってなくて立ち寄りやすい。木版に墨文字の看板もいい。

坂を下がり切ったあたりにもうひとつ、東大の門が出てくる。

「池之端門」だ。

だいぶ年季が入っている。

この門の脇に井戸がある。「弁慶鑑の井」という。

源義経が最期の地平泉に向かう途中、ここで弁慶が義経と水を飲んだと伝わっている。

 

さらに南下すると、右に「無縁坂」がある。東大病院前の「鉄門」につながっている。

さだまさしがまだグレープのころ、この坂からとった「無縁坂」の歌をうたっていた。

暗い雰囲気の歌だった。わたしは高校三年のころだった。でも結構ヒットした。

さだまさしは暗い歌が多かった。「精霊流し」もそうだ。これもヒットした。

そもそも...フォークは暗い歌が多かった。

写真の左の塀と鬱蒼とした樹木で囲まれた館は三菱の創始者岩崎弥太郎の旧居だ。

広い。でももとは徳川四天王の一角榊原家の屋敷の一部に過ぎなかったようだ。

この横に「池之端文化センター」があった。知る人ぞ知る。いわくつきの。

そこも榊原家の敷地の一部だったようだが...。

 

「東大の坂」を歩いたら、弥生時代からの昭和までの長い長い歴史に触れることになった。

ほんとに「坂」は物語の宝庫だ。

きょうはここまで。