「坂の上の天に輝く一朶の雲を目指して一心に歩む」

司馬遼太郎の「坂の上の雲」のあとがきだ。タイトルの説明でもある。

明治時代の盲目的ともいえる前向きな価値観をあらわしている。

 

これから、本郷台地の坂巡りをはじめる。

 

巡り出す 本郷坂上 雲仰ぎ

 

わたしが住んでいる文京区は、とにかく坂が多い。

猛暑の昨今、正直、うんざりすることもある。

最寄り駅から我が家までも、どのコースをとってもだいたい坂があり、

もっぱら「本妙寺坂」をのぼる。

江戸時代、この本妙寺から出火し、江戸中が焼け、江戸城の天守閣も、この火事で燃え尽きた。

「明暦の大火」とか、着物の振袖から出火したので「振袖火事」とも呼ばれている。

このように、坂には、「物語」もある。

なので、ブログ「たちどまーる けーすけ」の、一シリーズに加えることにした。

タイトルは、「本郷の坂の上の雲」とする。

 

茗荷谷にいく用事があり、その道筋には伝通院があった。

なので、「本郷の坂の上の雲」の一発目は、伝通院まわりにした。

伝通院は、徳川家康の母親「於代の方」(おだいのかた。実名は「大」らしいが)の菩提寺だ。

東側から向かうと「善光寺坂」をのぼる。

伝通院の隣に、於代の方が持っていた仏様を祀る善光寺というお寺があり、それで坂の名前にもなった。

これが善光寺坂だ。坂の上には、夏の雲が浮かんでいる。

すこしのぼると善光寺が出てくる。

そして、善光寺坂をのぼりきると伝通院がある。

徳川の家紋「葵の紋」が印象的だ。

於代の方の墓はこれだ。境内でいちばん大きな墓だ。

関係ないが、伝通院の門前には、

「指圧の心、母心、おせば生命の泉わく」のセリフで有名な浪越徳次郎の指圧の学校もある。

 

伝通院に南からはいるには、「安藤坂」をのぼる。

この坂だ。ここから仰ぎ見ても、坂の上には夏の雲が浮いている。

安藤飛騨守の屋敷があったことからこの名前がついたようだ。

坂の下のほうには「牛天神北野神社」がある。ここも本郷台地の縁にたっている。

菅原道真を祀る天神様は日本中あちこちにあるが、

ここで、立ち寄った源頼朝が牛に乗る菅原道真の姿を夢で見たということで、創建されたらしい。

 

於代の方は徳川幕府を開いた徳川家康の母だが、

このすぐ近くには、徳川幕府のさいごの将軍徳川慶喜が没した場所もある。

その終焉の地の前が、やはり本郷台地の縁の坂であり、「今井坂」という。

ここでも、坂の上には夏の雲が見える。

坂の名前の由来は、今井四郎兼平からとった「兼平桜」があったことからのようだ。

徳川慶喜は、この坂の西側が水戸藩の屋敷で、そこに生まれ、

徳川最後の大仕事を終えて、この地に戻り、生涯を終えた。

徳川慶喜も、この坂の上の雲を、なんども仰いだはずだ。

ここで時代を閉じる役を果たす運命に生まれ、没した彼は、

どんな気持ちで坂の上の雲を見ていたのだろうか。

 

伝通院まわりの坂には、

日本史上もっとも長く続いた政治システム徳川幕府260年の、

はじまりとおわりの物語が付いているのだ。

やはり、「坂」は、奥が深い。