思いが募って、きょうは、最初に、五七五を3つ。
焦げた壁 ピュアな思いの 火傷あと
戦後の子 東大、浅間 心傷
団塊よ 記憶の内に どう留めた
東京大学本郷キャンパス安田講堂に行ってきた。
その壁には、半世紀以上前の、火炎瓶などで焦げた跡、激しい攻防で削り取られた石面、
が生々しく、いまでも残っている。
ネットで調べた。
1969年1月18日・19日。全学共闘会議、新左翼の学生800~1000名が、
東大本郷キャンパス安田講堂を占拠して立て籠った。
東京大学、明治大学、慶應義塾大学など複数の大学の学生たちが集まっていた。
みな、太平洋戦争のあとのベビーブーマー「団塊世代」だった。
ベトナム反戦運動と安保闘争(日米安全保障条約の延長の阻止が目的だった。
東大本郷キャンパスの正門からはいる。
まっすぐ、齢を重ねた美しい木立たちが、迎えてくれる。
気持ちいい。
やがて現れる東大安田講堂の全容。
縦のラインが強調された馴染みの姿だ。
ウィキペディアによると、
安田財閥の創始者・安田善次郎の寄付により建設されたため、安田講堂と呼ばれ、
のちに東大総長となった東京大学建築学科の建築家内田祥三が設計した、ということだ。。
玄関に近づく。
1969年1月18日19日の激しい攻防を想起させる、
焼け焦げ、破壊された跡が生々しく残っている。
この1969年の東大安田講堂占拠事件と、
翌年1970年の三島由紀夫の陸上自衛隊市谷駐屯地での切腹自殺事件、
そして、1972年のあさま山荘占拠事件は、
現在63歳、当時10歳前後、のわたしの記憶には、鮮明に残っている。
拭っても決して取り除くことはできない、生涯の心傷として。
日本中が、熱病に覆われた、ぐつぐつと沸騰した、夢中のとき、として。
このとき、熱源となった、団塊世代たちよ。
いま、あなたたちは、このときのことを、どう心に留めているのか...。




