東京随一の花街があった柳橋と、

柳橋がある神田川河口あたりに、たちどまる。

 

柳橋は、ウィキペディアにこうある。

江戸市中の商人や文化人の奥座敷。隅田川沿いで風光明媚の街として栄える。江戸末期、芸妓は150名いた。

明治期には新興の新橋と共に「柳新二橋」と称され、柳橋芸者のほうが新橋より格上とされた。

1928年には料理屋62軒、芸妓366名の大規模を誇り、芸妓の技芸も優れ、新橋演舞場や明治座に出演。

代表的な料理屋は伊藤博文が利用した「亀清楼」であった。

1964年の東京オリンピック以後衰退していき、

とくに隅田川の護岸改修で景色が遮断され、花街にとって大きな致命傷となった。

1999年1月、最後の料亭「いな垣」が廃業し200年近くの歴史に終止符を打った。

神田川河口は、ネットには、こういう紹介がある。

井の頭池、善福寺池、妙正寺池を水源とする神田川は、柳橋で隅田川へと流れ込む。

ひとつ上流の浅草橋と隅田川の間は、屋形船の船溜まりとなって、ここならではの情緒がある。

 

柳橋 鉄橋となり 色失い

博文より 鬼平、小兵衛 が似合う橋

コロナゆく 出番待ってる 船溜まり

 

ここが、井の頭池に発する東京を象徴する神田川が隅田川に流れ込む河口だ。

「神田川船溜まり」と呼ばれ、隅田川遊覧の屋形船の基地にもなっている。

これだけたくさんの船宿、屋形船が集まっているのは、ほかにはないのでは。

そう考えると、ここはもっと観光スポットになっていていいと思う。

それにしては、人気が少ない。まだ午前中とはいえ。

 

神田川が隅田川に注ぎこむ最後のところに「柳橋」がかかっている。

残念ながら「江戸」の風情は感じられない鉄橋だ。

ただ、そのすぐわきにある、この船宿の小松屋と、

この、伊藤博文も通ったという料理屋「亀清楼」と、

この、天ぷら「大黒屋」は、

かろうじて、旧い東京の空気を漂わせている。

 

柳橋の脇には、こんな案内も掲げられていた。

「池波正太郎の舞台」だ。

江戸時代を描いた時代小説といえば、池波正太郎の、

「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛け人梅安」だ。

池波正太郎は、日本国民から圧倒的支持を受けているこれらの作品の中に、

たびたび「柳橋」を登場させている。

大好きだったようだ。このあたりが。池波正太郎は。