きょうは江戸城天守跡まであるいてきた。

おどろいたことに、江戸城天守閣跡の上にのぼっていたたくさんの人々は、

すべて外国人だった。

 

ウィキペディアなどで江戸城天守閣をちょっと調べてみる。

江戸城は、太田道灌が建てた城をベースに、

徳川家康が江戸幕府を開いた1604年から拡張工事をはじめ、1636年に完成した。

しかし、1657年、わたしがいま住んでいる、現在の文京区本郷にあった本妙寺

から出火した江戸時代最大規模の火事と言われている「明暦の大火」によって、

その天守閣は出来てわずか20年で焼失してしまう。

のちに再建が計画されるが、会津藩の保科正之の

「天守は戦時にむ必要な櫓、徳川幕府は天下泰平の世を実現し、

もはや戦時ではないので、建てる必要はない」

の進言が受け入れられ、

明治維新までの210年にわたり天守閣のない江戸城が治世を実現させた。

 

天守なし でも二百年 治世あり

コロナあと、埋まる外人 天守跡

 

ここが江戸城天守閣跡だ。

明暦の大火で焼け残った土台、というわけではなく、

そのあとの再建で、この土台まで出来ていて、

保科正之の進言で中止になったということらしい。

 

美しく精緻に成形された大きな大きな石が積み上げられている。

とても、当時、外国に、これほど美しく石を成形する技術があったとは思えない。

当時の日本人の建築技術は世界でも飛び抜けた高さにあったのではなかった-。

 

天守跡をすこしのぼった位置で振り返ってみた。

大手町、丸の内のオフィスビル群がみえる。