今回は「無縁坂」にたちどまる。
東大から不忍池に降りる坂道で、坂の南は元岩崎弥太郎邸、北は講安寺やマンションなどがならぶ。
わたしは近くに住んでいるため、上野や御徒町の方面に出る際は、よく、東大の中を抜けて、この坂を通っていた。
さだまさしがクレープのころ、「忍ぶ 不忍(しのばず) 無縁坂」と歌い、名曲と呼ばれる歌のひとつにもなっている。
たちどまる 無縁仏の しだれ桜
弥太郎よ 東京見降ろし 何思う
この坂にある講安寺は、いまは枯れてしまって無いが、以前は正面に見事な形をしたきれいなしだれ桜があり、
よくたちどまって見ていたものだ。
ネットで調べてみると、講安寺は、無縁仏を弔っていた寺で、ゆえに「無縁寺」とも呼ばれたようだ。
いまから思えば、そのきれいなしだれ桜は、救われた無縁仏たちのこころをあらわしていたのかもしれない。
気持ちを安らかにさせる雰囲気をもっていた。
また、ゆえに、その前の坂も「無縁坂」と呼ばれるようになったようだ。
そして、「無縁寺」の前には大きな岩崎弥太郎邸がある。石と煉瓦でできた外壁に囲まれている。
ちょうど本郷台地の縁で、東京の街を見降ろす立地だ。
ほんとうのところはわからないが、司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読んだ人はみな、
岩崎弥太郎というと、
土佐の貧乏な地下浪人からその類まれな商才でのしあがり「三菱財閥」を創った人...
そう認識しているだろう。
また機会がくれば、この岩崎邸を見学し、投稿しよう。

