きょうは湯島聖堂。

 

ウィキペデイアを覗くと-。

湯島聖堂は、江戸時代、徳川綱吉のときに建てられた幕府直轄の学問所であり、

最初は「孔子廟」と呼ばれ、のちに昌平坂学問所と名乗るようになり、明治時代からはまた「湯島聖堂」と名乗った。

名前は変化しても、日本の、学問の中心として機能してきた。

日本の教育発祥の地ともいわれている。

 

江戸いらい 学びの真ん中 湯島聖堂

 

しかし、我が家が近いので頻繁にこの前を通っているが、湯島聖堂を訪れている人は少ない。

でも、すぐ近くには、

学問の神様「菅原道真」を祀る「湯島天神」もあり、受験を控えた学生たちに人気のスポットだし、

御茶ノ水の駅からこの湯島聖堂にかけてかかっている神田川の上の橋も、

湯島聖堂から名前をとって「聖橋」と名乗っているくらいだ。

 

十分に認知がされていないのか、コミュニケーション量を上げれば、

湯島聖堂-湯島天神のゴールデンラインができそうなものだ。

学問に前向きにならざるおえない人たちは、日本中にいるわけで、

もっともっと「集客」してほしい。

現在の、湯島聖堂の中は、こんな感じだ。

孔子像もあったりするが、小さい。

地味だ。ひきつけるものがない。

湯島天神のように、梅園もないし、結婚式などのイベントに使われるわけでもない。

目立てばよいというわけでもないが、

日本の学びの真ん中は、みんなの行きたい場所であってほしい。