きょうは、浅草橋・柳橋から神田川を渡った南側、馬喰町、小伝馬町にたちどまる。

ただ...馬喰町と小伝馬町では顔が違う。

 

馬使い 衣料問屋に 衣替え

鐘の音で わかる時と死 小伝馬町

 

馬喰町。東日本橋と呼んでもいい。

ここは、浅草橋と同じで問屋街なのだが、浅草橋のように日用雑貨ではなく、衣料品の問屋だ。

なぜ、馬喰町は、衣料品問屋が多いのか。ネットでちょっと調べてみると...。

江戸幕府は、運送を担う「伝馬役」という役所を日本橋の北側のこの地に設置した。ここに置いたのは、江戸時代の主要「五街道」のうちの二つ、日光街道と奥州街道がこの地を通っていて、まさに陸運の大拠点だったからだ。なので、自然とこの地に問屋や商店が集まり、とくに伊勢・松阪の商人が経営する木綿問屋が多く集まったことで、それが衣料の問屋街として発展することになった。

ちなみに、この馬喰町や隣の横山町では、年に一度問屋まつりも開かれているようだ。

おそらく、知る人ぞ知るイベントなのだろう。

 

それから、小伝馬町。

ここも問屋街だが、「小伝馬町牢屋敷」があったことで、顔は違ってくる。

十思公園という、中国の天使の心得を説いた「十思」からつけた名前の公園だが、

江戸時代は、ここに牢屋敷があり、処刑場があった。

公園の真ん中には「時の鐘」が設置されている。江戸時代、市民に時刻を伝える役割を果たしていたのだが、

ここの時の鐘は、ほかにもいつくか設置されていた時の鐘とは違う「知らせ」があった。

処刑が実施された際にも鐘が突かれたようだ。

ここで処刑された人でとくに有名なのが、幕末の思想家吉田松陰だ。

公園内にはその碑も立っている。

長居するのははばかられるところだが、

そのすぐ横では、何組ものファミリーが遊んでいた。

それが「救い」にも感じてしまう。