きょうは、わたしが住んでいる本郷「菊坂」あたりにたちどまる。
ここは、明治から昭和にかけて文人たちがたくさん住み、名作を生み出した。
文豪は 下宿まちから 生まれ出る
残る家 文人たちの 筆の音
本郷は、東京の中心地や下町からみれば、高台にあたる。
高台というと、相場は屋敷まち、だが、本郷は、庶民のまち、下宿まちだ。
その庶民の下宿まちから、文豪たちがたくさん生まれ出ていった。
うた、句だと...
本郷に住んだ石川啄木はたとえばこううたっている。
東海の 小島の磯の 白砂に 我泣きぬれて 蟹とたわむる
徳田秋声はこう詠んでいる。
生きのびて また夏草の 目に沁みる
さすがだ。自分の五七五が恥ずかしい。
こんなまちだから、わたしの棲み処の近くのマンションの壁面には、
本郷に住んだ文人たちを紹介するこんな銅板が張り付けてある。
そこには、前出の、石川啄木と徳田秋声の詩も掲出されている。
そして、菊坂あたりには、彼らが暮らした木造家屋がまだ残っている。
文人たちの息遣い、筆の音が聞こえてきそうだ。
たとえば、お札に顔が描かれている「たけくらべ」の樋口一葉が住んだ家。
それから、彼女が通った質屋。
いまでも一葉がひょっこり出てきそうだ。
たとえば、言語学者でアイヌ研究で知られた金田一京介、
その息子で国語辞典の編纂で知られる金田一春彦、の家、もまだに残っている。
あと、作家の徳田秋声の家。
そのほか、住んだ家はなくなってしまったが、
はじめて日本の文学を芸術として定義した坪内逍遥、
「銀河鉄道の夜」などで有名な宮沢賢治などなど、
その旧居あとには説明版が掲出されている。
なぜ。文人たちは本郷に集まったのか。ネットで調べてみると。
江戸時代は江戸城に近いため大名屋敷や寺社が多く、その大きな区割り地ゆえに明治維新後は大学がここに配置され、
大学のまちゆえに出版、印刷の産業が栄え、
電車もバスもない時代ゆえに知識人・作家たちもその近くに住むようになった、ようだ。









