上野公園のあとは、東上野にたちどまる。
まず駄句。
よみがえる 東上野の 焦げ煙
上野知り わかる東京 深い懐
わたしは、本郷の前は湯島にいたため、上野はよく歩いた。
なかでも、とくに記憶に残っているは、山手線ガード沿いのアメ横と、
その東、昭和通りの東にまでひろがる、煙と焦げた香りがなんともいえない焼肉とキムチの街だ。
浜松から出てきた田舎者にとっては、異国臭プンプンで、ドキドキのワンダーランドだ。
あらためて、東上野を、ネットでちょっと調べてみる。
江戸時代から明治時代にかけては「芝新網町、四谷鮫河橋と並ぶ三大貧民窟」、現在は「コリアンタウンが形成され、焼肉やキムチなどを扱う朝鮮料理・食材店などが軒を連ね、パチンコ関連企業が集まっている」、などとなっている。
たしかに、山手線から昭和通りまでの「アメ横」の一部ともいえる東上野は、居酒屋、焼肉店がたくさんあって、軒先にテーブル・椅子が出され、そこで昼からたくさんの人たちが酒を酌み交わしている、それも、外国人がいっぱいで、そんな街になっている。
しかし、昭和通りを東へ渡った地域は、パチンコ関連企業が集まっているのはわかるが、朝鮮料理・食材店はあることはあるが、それほど多くはない、あっても店を開けていなかったりする。しばらく見ていたが、お客さんの出入りもほとんどない。
コリアンタウンというと、新宿大久保あたりも思い浮かぶが、あそこは、いまでも、情報発信が盛んで、若いお客さん中心に、人が集まる場所でありつづけている。しかし、東上野のここは、だいぶ寂れてきてしまったようだ。「昭和」のまま進化できなかった街のようだ。
上野は、歴史の観点からも眺めてみると、実に懐が深い。
銀座、新宿、渋谷ではわからない、重厚な東京の姿がみえてくる。
徳川との縁が深いうえに、明治以降も、現在まで文化を育む場所として機能しつづけている。
たくさんの歴史的出来事が刻まれている。
そして、外国人であふれる異国臭の土地「アメ横」があり、コリアンタウンの、いや、だった「東上野」もある。


