きょうは丸の内の南の有楽町に移る。
まず一句。
今昔 人が集まる 有楽町
ネットで調べると、有楽町は、「戦国武将にして茶人の織田有楽斎の屋敷があったことから名づけられた」と紹介されている。
とともに、その由来は定かではなく、「茶人が集まった場所なので織田有楽斎に結びつけられた」との解説もある。
いずれにせよ、江戸時代は、文化人の代表だった茶人が集まるところだったようだ。
明治に入ると、毎日、朝日の本社、読売会館もつくられ、大新聞の街となり、
昭和にかけて、日本劇場(日劇)、東京宝塚劇場、日生劇場、帝国劇場などの大劇場の街にもなり、
一大情報発信地になったといってもいい。
戦後は、占領軍の中枢GHQが置かれた。東京都庁もまずここに置かれ、それが東京国際フォーラムに変わった。
日本全国の産物が紹介されている交通会館が出来、日劇が阪急と西武の有楽町マリオンに、さらにマルイの有楽町イトシアもでき、ニツポンのモノのプレゼンテーションの街にもなった。
かつては、フランク永井が「有楽町で逢いましょう」と歌い、いまでも、有楽町駅前は、テレビの報道・バラエティ番組での定番インタビュ場所になっている。
ここ有楽町は、いまも、むかしも、「人が集まる場所」、なのだ。
いま、有楽町で、いちばん人が集まる場所は、ここ有楽町駅前の、
全国各地のアンテナショップがはいっている交通会館と、
マルイのはいる新しい大型施設「イトシア」の、前の、広場だ。
テレビはどの局も、報道・バラエティ番組では、この有楽町駅前広場での消費者インタビュを紹介するようになった。
それから、中高年はおぼえていると思うが、年末の日本レコード大賞の会場である「帝国劇場」もこの有楽町にあるし、
もっと高齢の方々はおぼえていると思うが、ここには日本を代表する演劇場の日劇(日本劇場)があった。
40年以上まえ、阪急百貨店と西武がはいる「有楽町マリオン」に変わった。
いまでは、それも様変わりしており、かつては映画館もたくさん入居していたが、だいぶ減り、代わりにプラネタリュウムなどが入居している。正面の大きな時計はむかしのままだが。
以前は、ここ有楽町は、大きな劇場が集まっている場所であり、演劇、映画、コンサートといえば、みんなここに来ていた。
むかしの面影を残している建物もある。
前出の帝国劇場もそうだが、有楽町駅前の「読売会館」もそうだ。
さらに「戦後」の象徴。
第一生命ビルもある。占領軍の本拠地、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が置かれた建物だ。





