大手町のつきは、そのとなり、ビジネス、ショッピング、アートが共存する「丸の内」にたちどまる。
まずは五七五。
ブルックス ぴたっとはまる オフィス街
トライする リーチマイケル 丸の内
ここは「三菱村」だ。ネットでもうすこし調べてみる。
江戸時代、江戸城正面のこの地は親藩・譜代大名の屋敷が集まっていた。
明治維新となり政府管轄となり、ひとまず陸軍兵舎が置かれたが、陸軍拠点はやがて他地に移った。
1890年。三菱二代目岩崎弥之助に払い下げられた。政府と三菱の間には特別な関係が出来ていたのだろう。
1894年。日本初のビジネスビルディング「三菱一号館」が竣工した。いまも当時を思わせる建物が遺されている。
皇居から東京駅に向かってまっすぐ大きな通りが伸びている。
「行幸通り」という。道の中央に大きな歩道が通っていて、平時は国民が自由に行き交い、広くて気持ちの良い場所だが、天皇が「仕事」のときは、そのことが優先されて使われる。
丸の内はその行幸通りにまたがるように存在している。
丸の内というと、東京駅の目の前でこの行幸通りを挟んだ位置に立つ双子のタワー、
丸ビルと、
ちょっとだけあとにできた新丸ビル、をイメージする人も多いだろう。
この双子ビルこそ、丸の内がビジネスとショッピングとアートが融合した街になる先駆けになった建物だったのではないか。
現在、実際に、ビジネスとショッピングとアートが融合した街、を感じるのは、
この東西に延びる「行幸通り」と南北に交差している「丸の内仲通り」だ。
「丸の内仲通り」は、左右に高層のビジネスビルがずらりと並んでいるが、
どの建物も、その1階およぴ低層部分は、ショッピングゾーンになっている。
アパレル、服飾品、バツグなどのブランドショップが、
どれも落ち着いた雰囲気で、このビジネス街にあわせた感じで、品よく、立ち並んでいる。
たとえば、「ブルックスブラザース」。この丸の内の街にぴったりはまっている。
たとえば、その前にある「ARCTERYX」。
派手な色合いが多くなるアウトドア用品ブランドだが、このブランドの落ち着いた色使いはこの街にあっている。
ブランドショップの合間に飲食店もある。
そして飲食店はたいがいオープンカフェになっていて、丸の内仲通りに向かってテープル・いすを出している。
これが、日本ではない外国の街、を感じさせる。
また、この通りには、休憩場所も多い。ベンチ、さらに、もたれかかれるアーチ...。
たちどまる。だけでなく、休めるのだ。すばらしい。
アート作品も、あちこちにある。
リーチ・マイケルがトライする像もある。
たくさんの来街者が、これらの休憩ポイント、アートの前で「たちどまる」ことだろう。
外国人観光客がたくさんいる。団体で歩いている。以前より増えたのではないか。大手町も多かったけど...
観光バスの発着場所にもなっている。
通り過ぎるだけのビジネス街が、「たちどまる」街に変貌している。
ひとつひとつの建物、「点」を変えていくのではなく、街という「面」全体を変えていく、
ビジネス・ショッピング・アートを共存させたかたちで...
そんな三菱の試みは、うまくいっているように思える。














