きょうは、ふたたび本郷から南東に目を戻し、前回歩いた神田錦町の南、大手町をゆく。

 

まず恒例の駄句。

30年前、仕事でよく来ていたところからか、何やら沸々と湧いてきて、四句も披露。

 

どこ行った? 物産池の 鴨親子

老庁舎 さいごにコロナ 拠点終え

背にお札 貼る大手町 管理職

失われ た30年に 摩天楼

 

 

まず、明大通りを南下して、日本橋川を渡り、合同庁舎地にはいる。

大手町の最北端に老いたからだをさらしている旧気象庁舎は、コロナ禍3年間、PCR検査・ワクチン接種の最前線になり、いまその役目を終えようとしている。さいごの大役、おつかれさま。

 

その南向こうには、新しくなった三井物産およびその複合タワーのootemachi oneがが聳えている。

30年前は、この三井の池から目の前の皇居の堀へ、鴨の親子が、毎年決まった時期にお引越しすることで、有名になった。

見たところ、その池はもう無いようだ。あの鴨親子は、いまはどうしていることやら。

その三井ビルの脇には「将門塚」がある。

平安時代、平将門がこの関東で反乱を起こし、失敗に終わり京都で斬首され、その首が空を飛びこの地に落ちたとされる。

そもそも、東京の祭りの中心になっている神田神社はこの平将門を祀った場所であり、東京いや日本の金融の中心地兜町も、平将門の兜を祀った兜神社にちなんでいるなど、東京と平将門は深い縁でつながっている。わたしが、30年前によくきていた建物で働く人たちにも「とくに将門塚に背を向けて働く人は、椅子の背に平将門のお札・お守りを貼っている」とも聞いたことがある。

 

わたしがよく通わせていただいた会社(いまは無いが)のビルの正面には皇居の「大手門」がある。大手町の名前の由来だ。

 

大手町の建物の多くは、大きな高層ビルに変わった。三井物産やootemachi oneだけではない。

読売新聞本社も大きくなった。隣の産経新聞本社も大きい。新聞と言えば日本経済新聞もすぐ近くだ。

 

そこからKDDIビルを挟んで隣の大手町フィナンシャルセンターもすごく大きい。
大手町は、メディアとともに、金融の大手企業が外資も含めてズラリと揃っている。

経団連会館もここにある。まさに日本経済の本拠地ともいうべきか。

 

もともと、この大手町というところは、徳川の時代は、この江戸城大手門の前には有力藩の屋敷が連なっていたそうで、明治時代になると省庁がこの地域に集中して置かれ、第二次大戦後は日本の有力企業の本社が集まる場所になったようだ。

この日は、土曜日だったが、外国人、それも欧米の観光客らしき人たちをたくさん見かけた。外国の方々にとっては、皇居とあわせてみる観光ルートのひとつになっているのかもしれない。