今回は二句。

 

岩本町 ヤマザキ村に 古着脱ぎ

ビル陰に お玉が池の 龍馬みる

 

 

西神田のあとは東神田だ。岩本町と、むかし「お玉が池」と呼ばれていた地域になる。

 

すこしまえにたちどまった神田秋葉原の南隣、JR総武線を挟んで、岩本町がある。ここも神田の一部だった。

岩本町の交差点には、碑がたっていて、

そこには、江戸時代から、東北からの物資が届く場所で、利用する人たちの水飲み広場になっていた、と書かれている。

 

この交差点には、ヤマザキの本社があり、このあたりのコンビニは、ヤマザキデイリーストアばかりだ。

「ヤマザキ村」のようになっている。

もともと、このあたりは、古着屋、繊維を扱う業者さんが多かったそうで、いまでも、岩本町ならではの催事として、年に1回、衣料の即売会イベントがおこなわれているようだが、現在の付近の、会社をみると、衣料関連の会社はそれほど目立たず、それよりも、「ヤマザキ村」の印象が強い。

 

このあたりには、江戸時代のはじめごろまでは、「お玉が池」という、現在の「上野不忍池」よりも広い池があって、それを神田山(本郷台地)の縁を切り崩して、その土砂で埋めて〝宅地造成〟したようだ。そのため、江戸時代を通じてこのあたりは「お玉が池」と呼ばれていたという。まちを歩いていると、そのことを説明する祠や案内板もちゃんとある。

「お玉が池」というと、司馬遼太郎「竜馬がゆく」に多大な影響を受けて育った63歳のわたしは、剣豪の千葉周作・千葉定吉兄弟が開いた「千葉道場」を思い出す。

坂本龍馬は、上京して間もなく、この千葉道場に弟子入りし、道場の跡取り息子の千葉重太郎と、勝海舟を襲いに行ったのに、逆に勝という人間に惚れこんでしまい弟子になってしまったとか...、重太郎の妹で北辰一刀流免許をもっている千葉さなに惚れられ、千葉さなは終生坂本龍馬を愛し続けたとか...、いくつもの逸話が思い出されてくる。

 

そんな江戸の下町神田の中心地だった「お玉が池」あたりも、いまでは、企業が入居するビルが立ち並ぶ街に変わってしまっている。