いったん本郷台地におりることにしたのだが、またちょっと台地の上に戻った。台地のうえのことで、ひとつ話し忘れていたことがあったからだ。

いちばん最初に書いたことだが、わたしの「たちどまるけーすけ」というこのブログは、ヒトは何事においても、通過する→立寄る(たちどまる)→利用する、というプロセスを踏むが、そのなかの「たちどまる」にこだわって、それをテーマとして日記を描き続けていこうとしてはじめた、のだが、本郷台地のうえに、ここは「たちどまる」前に、「通過する」から考え直したほうがよいと強く感じる場所があったのだ。それは、本郷の日本サッカー協会だ。

それから、これまで「です」「ます」調で書いてきたが、やっぱり「である」調のほうが、言いたいことが伝わると思い、今回から「である」調で綴ってゆく。

日本サッカー協会は、日本人のサッカーへの関心を高めてゆくことが目的のはずだ。しかし、本郷の日本サッカー協会の建物は、本郷・湯島の民家や中小法人のまちの中に埋めれるようにたっていて、目立たない。事実、その前を、ヒトがあまり通っていない。通過する→立寄る(たちどまる)→利用する、というプロセスの、「たちどまる」前に「通過する」が少なすぎる。これでは、すくなくとも、この本部施設で日本人のサッカーへの関心を高めようとするのはなかなか難しいのではないだろうか。もちろん、肝心のサッカーゲームで関心・感動が高まればいいのだが。

日本サッカー協会という建物が、そこを「通過する」を増やすために努力している様子はうかがえる。サッカー協会がある通りを「サッカー通り」と名付けて、街頭に旗を掲げてもいる。

ヒトがもっとたくさん通過するところへの移転も含めて、たとえば、本郷でも、ヒトやクルマがたくさん行き交う本郷通りとか春日通りから見えるところにあれば、十分に目立つわけで、そのあたりも含めて、予算の問題もあるのだろうが、検討してみてもいいのではないだろうか。