わたしのブログ「たちどまるけーすけ」は、わたしの住む本郷台地からはじめました。

今回の「駿河台」で「本郷台地」をいったん降りていくことにします。

では、駿河台にたちどまります。

駿河台は、本郷台地の突端です。江戸時代のはじめころ、あの独眼竜伊達政宗が徳川の要請で、本郷台地を切り崩し、神田川を通して隅田川に注ぐ工事をして以来、駿河台は、本郷台地とは別物にとらえられていますが、もとは一体だったのです。

本郷湯島から、東京医科歯科大学と順天堂大学を背にして、その神田川、江戸城の外堀といいましょうか、400年もまえに、よくまぁこんな深い谷をつくりだしたものだと思うのですが、架かる御茶ノ水橋を渡ります。南東には、目前に、改修工事をはじめたJR御茶ノ水駅、そのむこうに、湯島天神につながっている聖橋と、新しい駿河台を象徴する「ソラシティ」「ワテラス」の高層ビルがみえます。いまから40年以上前、わたしはこの御茶ノ水駅を毎日のように利用していたので、当時から古くて狭くて「要改修」だったこの駅もようやく作り直せるのかと感慨ひとしお、おもわず「たちどまる」のです。

新しい駿河台の顔である「ソラシティ」「ワテラス」の前には古い駿河台の顔「ニコライ堂」、正式には「東京復活大聖堂」、があります。教会の屋根に青色を配していることや、ロシア人大主教ニコライにゆかりがあるため、ウクライナ侵略でいま評判がよろしくないロシア正教の教会と勘違いされがちですが、このニコライ堂はロシアの教会ではありません。

いまも鳴り続けているその鐘の音が「たちどまる」なのです。

いまでは、昭和を感じさせる、思わず「たちどまる」古い駿河台の「顔」は減りましたが、JR御茶ノ水駅の近くには、中央線の先にある北アルプスを連想させる木造外装の喫茶店「穂高」や、洋食屋の「御茶ノ水で昭和29年創業キッチンカロリー」は、まだ残っています。いま63歳、かつてこの街に通っていたわたしにとっては、懐かしい限りです。

あと、駿河台で「たちどまる」といえば、JR御茶ノ水駅から南へと下る道沿いにつらなる楽器店街があります。下倉、石橋、谷口、黒澤などなどです。なぜかはよくわかりませんが、これらの「老舗」店が同じころに相次いでこの地に店を開き、まわりに同業者が増え、その結果、現在のようになったようです。

駿河台で「たちどまる」ところ。もうすこしつづけます。

明治大学です。JR御茶ノ水駅からつづく楽器店街の途切れたあたりにあります。

わたしが通った学校です。きわめて個人的な理由ですが「たちどまる」で当然です。

「たちどまる」ところ、もうひとつ。

その明治大学の脇の坂道を登ったところにある「山の上ホテル」です。たくさんの文人たちがここに宿泊して、というか出版社に泊まらされ文筆活動をさせられたところとして有名です。執筆の場だったせいでしょうか、こじんまりとしていて、人は少なく、静かで、この駿河台という都心の場で、ゆったりゆっくり過ごすことができる、ほかにない、得がたいホテルといえます。