明治22年6月30日三遊亭圓朝が隅田川木母寺境内へ三遊塚建設供養した際、門人一同が雪月花にちなんだ小咄をその場で披露し、記念に出版された「雪月花一題ばなし」に纏められたものです。
この三遊塚、高橋泥舟の筆で三遊亭圓朝が建碑しました。幕末の三舟で圓朝と特に親交の篤かった山岡鉄舟は前年に死去してますので、泥舟の筆になったと推察いたします。泥舟もまた三游派、特に圓喬とは親交が深かったようです。
その「雪月花一題ばなし」から圓喬の『月の兎』と題されました小咄を紹介します。
春陽堂版「円朝全集」(1927年 昭和2年発行)と原本(1889年 明治22年 三遊社発行)とでは若干違いがありますので、両方を実験的に変体仮名を含め当時のママ改行と終わりのカギ括弧(」)のみ挿入して引用します。かなり読みづらく、また機種や設定によっては正確に表示できないかもしれませんが、あたくしの酔狂と思し召し御容赦を。
原本「雪月花一題ばなし」からです。
分かりづれぇ~よ! 寅と辰の間の方角で卯(兎)とか、名前が「月」さんだから月の名所「武蔵野」にちなんだ待合茶屋(待ち合わせや男女の密会,客と芸妓の遊興などのための席を貸し,酒食を供する店)だとか、江戸期~明治の占い師白井卜星なんて調べなきゃ分からねぇっての!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20221221/13/tachibanaya-dasoku/5d/30/p/o0299056215219070950.png?caw=800)
あげくは面白くないし。しかも振り仮名など表記がチグハグですね。これが40年後になるとどのように表記されるのか。春陽堂版「円朝全集」から同じ圓喬の小咄『月の兎』を原文ママ改行を入れて引用します。
明治22年から昭和2年でかなり読みやすくなっていると思います。でも「円朝全集」は底本が違うのか「宅𛂌計り」を落としてますね。ほかにも明治の方は「余程」なのに昭和は「餘程」と旧字だったり、「待合」の振り仮名も明治は「まちあい」であるのに昭和は「まちあひ」とこちらも旧仮名ですね。詳しく調べると面白いかも、人生の時間が残り少ないのであたくしはやりませんが……。(^^)
圓喬を始め主だった門人は小咄と同時に一句詠んでおりますのでそちらも圓喬と師匠圓朝を紹介しましょう。
- かたひらや けふ窮屈に 据り雛 圓喬
- 珠數のせて けふは鳴らせぬ あふぎかな 圓朝
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20221221/13/tachibanaya-dasoku/95/3f/j/o0695052415219072128.jpg?caw=800)
当日の写真
こんな席での句も圓喬らしいと言えばらしいですね。
この「雪月花一題ばなし」には当然圓朝も載っております。門人は雪・月・花の内一つですが、圓朝は『雪月花』と題し全てを入れております。
こちらも麻由美さんが朗読されてますので紹介いたします。