おはようございます。立花です。

一週間単位で入れ替わりバトンを繋ぐ霞ヶ関新入省行政官 雄勝研修も今週で最終週を向かえます。
今週も持てる力を出しき、行政官の方々の学びと成長に繋げてゆきたいと思います。

さて、先週は、審査員をさせて頂いてる社団の東北視察ツアーがありました。
各地域でこども食堂を展開しながら、こどもたちの母親の居場所づくりをしていたり
障害をもつこどもたちの学童を運営していたり、就労支援として酪農を営んでいたり
農業と料理を通して親子で楽しめる食育事業をする団体など、それぞれが特色ある取り組みをしてました。
行政や中間支援団体ができない、地域に根差した活動をしている様子を見ることができました。
各団体の代表者は総じて、「やらなければ」という想いでスタートし
「目の前の人、目の前のことのためにやってきた結果今の形になった」と言います。
私心なく、利他の心でやり続けることで、協力者・共感者が集まっていく、そのように感じました。


また、先週は、能登に入り、先日の「のとのもんキャンプ」参加者を中心に
各地で様々な活動をする方々にお逢いする機会がありました。
能登半島地震で多くが二次避難先で生活する中、関係人口を呼び込み巻き込みながら故郷のために懸命に、
そして、肝を据えて淡々と一生懸命、正直に活動する姿に触れました。
東日本大震災の時に、能登の方々から東北は沢山の応援を頂きました。
能登半島地震 発災時から、東北の農業漁業など一次生産者やNPOが
この13年半の学びと「こうしてよけば良かった」という点も含めて、能登の方々へ共有することを行っています。
各地域での地域住民との対話の場から出た意見を反映し、東北で活動を共にしてきたメンバーも多く名を連ねているアドバイザリーボード会議での
意見も踏まえた、「石川県創造的復興プラン」も先週、石川県より発表になりました。
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/fukkyuufukkou/souzoutekifukkousuishin/fukkouplan.html
能登の未来が、日本の未来になる、そう実感できる内容になっていると感じます。

さて、今回は偶然、能登の奇祭 「あばれ祭り」に重なりました。
能登にこんなに多くの若者・こどもたちがいるのだということに驚き、例年と変わらないという活気と熱気、気迫に圧倒されました。
昨年と違うのは、震災で家族をなくした人、多くの方が家をなくし二次避難や仮設住宅暮らしを余儀なくされている、という事です。
この祭りの起源は、約350年前、当地に悪病が流行したため、盛大な祭礼を始めたところ、神霊と化した青蜂が悪疫病者を救った、
喜んだ地元の人々は奉燈(キリコ)をかついで詣でたのが。あばれ祭の始まりとされています。
夜21時から深夜2時過ぎまで、地区ごとに建てられた約40数本のキリコが町をねり歩き、2基の神興を海や川、火の中に投げ込んであばれる祭りです。
炎の明かりが神さまを迎える神聖な供え物とされており、その火の粉をキリコが乱舞し、火の粉を浴びることで御利益があるとされています。
の祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、荒々しい勇ましい神として描かれていることから、
神輿を海の中や川の中、火の中に投げ込み、叩いたり、壊したりするなど大暴れが行われ、これによって
神輿の興奮が神さまを呼び寄せ、人々は神さまに近づくことができると信じられています。
あばれ神輿の最後の荒行、すべての災いを境内の火の中で焼き祓い、
社殿にお還りになられるとされています。担ぎ手にとっても最後の正念場であり、見せ場でもあります。
https://abarematsuri.jp/about
能登の祭りでは、親戚や友人だけでなく知らない旅人までもあたたかく家に迎え入れ
一緒に食事をしたり酒を飲んだりする「ヨバレ」という文化があるそうで、今回
地元の方から「ヨバレ」を味わわせて頂きました。
能登の奥深さと人の温かさを実感しました。