こんな夜中に生々しい話をして申し訳ないんですけど、30歳を過ぎると「人の死」に立ち会う機会が増えます。
近しい人が亡くなったと突然告られるのは、その人がいかに長生きだったとしても、結構ショッキングな出来事です。
それを「いつか来る」と、どれだけ覚悟していたとしても。
2022年8月8日。父方の祖父が亡くなりました。
95歳だったと聞きました。
僕は千葉県に住んでおり、祖父は僕の地元でもある和歌山で暮らしていました。
何の偶然か、奇跡か。呼ばれたのか。
その日の夕方、父から「おじいちゃんが亡くなりました」とメッセージが届いたそのとき、僕は難波へと向かう近鉄特急の車内にいました。
大阪にいる友人のところへ、お忍びで向かっている途中でした。
「遠いから来なくていい」と、メッセージで父は言っていました。
いや、あのね。
本当は600kmくらい離れてるはずなんやけど、今もう100kmくらいのところまで来てるんですよ。お父さん。
居ても立っても居られず、デッキに移動して、父へ電話をしました。
実父を亡くした人は、一体どんな雰囲気で電話に出るのだろう。父はしゃんと喪主を勤められるのか。
憔悴して病んでいないだろうか。泣いていないだろうか。
様々な思いが交錯した数秒でした。
この電話と、次の日の朝に父と駅で合流した瞬間ほど、時が長く感じたことは他にありません。
電話越しの父は、緊張していたのが笑えるくらいにあっけらかんとしていました。思わず「ほんまにおじいちゃん死んだん?」と疑いたくなるくらいに。
まさか父も、息子が目と鼻の先にいるとは思いもしなかったようで(そりゃそうだ)、家族・親戚の間でも「こんなことあるんやなぁ」と驚かれました。
「手ぶらでいいから、来たらいい」と、さっきまで「遠いから来なくていい」と言っていたはずの父が、くるりと手のひらを返したようなことを言い出しました。
これは僕の勝手な想像でしかありませんが、兄妹の間でもシャイ(よく喋るけど、デレない)と話題の父が、喜んでくれたように思えました。
その後、和歌山にいる妹にも電話をして「お父さん大丈夫そう?」と聞いてみましたが、朝から元気にスイカ差し入れに来たわ!とのこと。
おじいちゃんは早朝に息を引き取っていたそうです。
なんや、それ。親父元気過ぎやろ。
んで、連絡くれるの遅くないか?息子よりスイカかよ。
関西と関東は遠いから、まさか本当に来れるとは思っていなかったんでしょうね。
いつもと変わらないように思える父の声。少しホッとしました。
21歳のときに和歌山を離れて以来、おじいちゃんとは会っていません。上京を応援してくれたのが、最期の別れになってしまった。
これだけが本当に悔やまれます。
父方の親戚の方々と最後に会ったのも、20年近く昔のことで、久々の再会に緊張しました。
おじいちゃんは病院から自身の家に帰り、僕を出迎えてくれました。
難波で一泊した次の日の朝、ついに着いてしまったおじいちゃんの家。
小学生の頃、年末年始は毎年おじいちゃんの家で過ごしていました。僕のすき焼き好きの原点は、確実にこの家です。
玄関の引き戸の音と匂いが当時のままで、懐かしかった。
思わず背筋がピンと伸びました。どんな顔をして入ればいいんだろう。第一声は?
...が、居間の扉を開けた僕の目に飛び込んできたのは、微笑みを浮かべ眠るおじいちゃんと、テレビで甲子園を観ている親戚一同の姿でした。
「今のスライダー?」
「いや、カーブやろ。」
「辰哉か?肥えたなぁ〜」
いや、待て。情報量が多すぎる。
想像以上に痩せ細ったおじいちゃんが、笑って死んでいたこと。
同じ部屋で甲子園を観て、お喋りと応援をしている、久しぶりに会う人達。
95歳まで生きれば、死は悲しいものではなくなるのか。それとも、皆が痩せ我慢をしているのか。
でも、その異様に明るい雰囲気は本物で、口々に飛んでくる「太ったなぁ!」の豪速球に、僕の緊張がほぐれ、救われたのは事実でした。
「おじいちゃん、笑ってるやん」
「ほんま、ええ顔してるわ」
ありきたりなやり取りのようで、誰もが皆、本音でその言葉を口にしているのがわかりました。それくらい安らかな顔でした。
でも、明日の昼には、おじいちゃんも骨になる。
この前の年の秋、母方の祖母が亡くなった。
そのときに、僕達は「人が死んだらどうなるか」を、一番近い場所で見させてもらった。
幼い頃は全くわかっていなかった弔いの意味を、学ばせていただいた。
僕は、母の代わりにおばあちゃんの骨を拾った。
火葬場のあの熱を、匂いを、今も忘れられない。
「出来る限りの手伝いを全力でしよう。」
下手な慰めの言葉で取り繕うより、そのほうがいい。なんとなく、でも強くそう思った。
スーパーマーケットの惣菜を皆で食べ、簡素な昼飯を済ませてしばらく経った頃、葬儀屋の方々が来てくれた。
これからおじいちゃんは式場へと運ばれ、納棺されるらしい。
いよいよ、最期の別れの儀式が始まる。