こんな自堕落的な生活はもう嫌だ。


何一つ魅力のない自分が情けなくて嫌だ。


誰からも相手にされないのは寂しくて嫌だ。


まともな恋愛もできない不器用な自分が嫌だ。


家族へ謝罪も恩返しもできないまま死ぬのは嫌だ。


借金の利息に苦しむ生活はもう嫌だ。


数年先まで毎日支払いの計算をするのは嫌だ。


楽しくないパチスロを打ち続けるのは嫌だ。


どれだけ目押ししても勝てないのが嫌だ。


確率の偏りに振り回されるのはもう嫌だ。


1ヶ月必死でかけた予想がハズれるのは嫌だ。


朝、出勤時点で数万円負ける生活は嫌だ。


負けて仕事に集中できない自分が嫌だ。


寝て起きたら打ちたくなるあの感覚が嫌だ。


泣き喚いて自分の頭を叩いて後悔する夜が嫌だ。


ギャンブルがないと暇すぎるのが嫌だ。


死後もギャンブルに狂った人と語られるのは嫌だ。


誰の記憶にも残らないまま死ぬのは嫌だ。


ギャンブルを辞められないまま死ぬのは嫌だ。




最後のギャンブルから約3年半が経ち、当時の絶望をこんなふうに分解して振り返ることができるようになりました。


あの頃は、依存の苦しさを「霧のかかった先の見えない世界」にいるように感じていて、いつまでも抜け出せないこの地獄を、たった一言『何もかも嫌になった』で片付けようとしていましたね。


何も見えないことを言い訳をする、というか、ひたすら逃げ回っている感じ。




パチスロと競馬とボートで負けに負けて、周りを見渡しても誰もいなくて、身動きの取れない借金に悩まされて、悔しくて泣いても何も変わらなくて、でも、どこかでそういう悲劇的な自分に酔っている。



もう人生終わり。八方塞がり。



まだ治療という治療を何一つ施していないのに、立て直しは諦めたほうが楽なんじゃないか、と思い、いっそのこと開き直ってしまいたい気持ちもありました。



『自分ではどうにもならないから助けてくれ』

『どうにかして自分自身の力でやり直したい』



この2つの感情が、ずっと頭の中でごちゃ混ぜになったまま、何年も過ごしていたように思います。


僕の場合、どちらかの思いが『0か100』に振り切ることはなく、常に両方とも存在していて、そのバランス次第で気分がコロコロと変わるような感覚でした。


「ギャンブルを楽しめる人生」と「ギャンブルのない楽しい人生」が、運動会の綱引きのように互いを引っ張り合っていて、両方選べないことはわかっているのに、いつまでも『希望』を捨て切れませんでした。


ギャンブルは辞めたほうがいいとわかっていましたが、でもパチスロは僕の人生そのものだから、と、パチスロを楽しめる生き方に拘っていました。


たまに勝ってしまうと、「打ち続けてもなんとかなるんじゃないか」という欲求に突き動かされてしまい、自ら何度もギャンブル断ちを放棄しました。


その逆も然り、支払いがままならない程に叩きのめされ、負けたときには、「ギャンブルを辞めないと人生は良くならない」と確信し、辞める決意を何度もしてきました。当時はまだ決意だけでしたけど。




結局は『ギャンブルで勝ち続ける希望』の側が力尽きることになりました。


2019年の7月。

借入限度額と周りの信頼が全て尽きてしまった、と感じた日がトドメになり、ギャンブルは僕に一切の夢も希望も見せてくれなくなりました。


そうなって良かった、というか。

元々いつかそうなる予定だった、というか。


当時は、深い霧の中をフラフラと彷徨いながら、己の命が助かる方角を、あてもなく探し回る不安と恐怖の日々でしたが、ギャンブルを辞め始める最初の一歩は「ギャンブルに見限られた」と確信した瞬間に踏み出せたのだと、今になって思います。


最後に、完膚なきまでに負けて良かったと思いました。心が折れてボロボロになるまで負けたから、辞められているのだと思っています。



とはいえ、冒頭で書き連ねたように、人生の何もかもが嫌になるくらいの絶望に囲まれている気持ちでしたから、ギャンブルを辞めるための行動を取り続けるのはしんどかったです。


自死を選んで、現実から楽に逃げようとしなかった自分を褒めてやりたい。そう思えるくらいに、本当は死んでしまいたかったです。


ギャンブルをしなくなっても借金は消えないし、信用は回復しないし、見える景色はすぐには変わらないからです。


「地道な道を進むしかないんだ」と痛感するたびに、現実から目を背けたくなるたびに、頭の中では「ギャンブルすれば楽になるよ」という考えが何度も何度も浮かんできます。


「ギャンブルは僕を助けてくれない」と確信したはずなのに、僕は「パチンコ屋へ行けば気持ちが安らぐ」と、振られた相手に未練がましい人のように、尽きたはずの希望を捻り出そうとしていました。




そういう病気・脳になってしまった自分と、これからもずっと生きていかなければならない。


ギャンブル依存症を認めるということは、まだ明るく見えるほうの絶望を選ぶようなものでした。




やっても地獄、辞めても地獄。


ならばせめて、今までよりも少しでもまともになれそうな地獄を選ぼうと思いました。


嫌な現実から抜け出すために、嫌なことをする。


なけなしの勇気を振り絞って、お腹を下しながら、依存症専門の病院に向かいましたが、診察室の扉を開けるその瞬間まで、僕は「今すぐにでも帰りたい」と心の底から思っていました。