このことに触れるときはいつも緊張するんですよね。


下手なことは言えないなーと思いながらも、かといって上っ面だけじゃなくて、ちゃんと本心を記録して残しておかないとって思うんですよね。


今回は「家族」「人間関係」について、僕の経験と意見を書いてみようと思います。




僕がギャンブルを本気で辞めようと決意したときって、メンタルも身体も金銭的にも、全部がめちゃくちゃにズタボロでした。


だから正直に言うと、最初は家族や人間関係のことなんて、考えたり思いやるような余裕は全くなかったです。


とにかくまず、自分自身の目の前の問題。

ギャンブルをしないこと、支払い、仕事との向き合い方、この3つをどうにかしないと生きていけない状況でした。



ギャンブルが止まって3ヶ月から半年くらいした頃、多分気持ち的な余裕が生まれてきたせいもあると思うんですけど、突然急に家族のことを考えたんですね。


「僕のことをどう思ってるんだろう」って思ったんですね。


でも、そんなこと聞けないです。

今まで散々迷惑をかけて、しかもきちんと謝ったことなんて一度もないんですからね。


「多分、恨んでいるか、呆れているか」

「もう関わりたくないだろうな」


って想像をしました。僕が逆の立場だったらそう思うだろうと考えたからです。


父には、車を買う費用を多めに言って、嘘をついて借りたお金でギャンブルしていましたし、借金の肩代わりをお願いしたのに、正直に全額伝えることをしませんでした。


ギャンブル依存をカミングアウトして、妹にお金の管理をしてもらうことを家族で決めたのに、その1ヶ月後にはまた借金していましたし。




でも、そんな酷いことをしてきたけれども、「今こうしてギャンブルを辞めていることを知ってほしい」って、自分勝手に思ったんですね。


20年近く、休む暇もなくパチスロを打っていた僕が、半年間もギャンブルを辞めていて、借金も少しずつ自力で返し始めているんですよ。


だから自分の努力を認めてほしかったんですね。




その頃の自分は、病気を受け入れてはいたんですが、見栄とプライドを捨て切れていなかったので、今以上に自分に酔っていましたし、「以前の自分とはこんなにも違うんだ」ってことを家族に理解してほしかったんですよね。


もっと言えば、自分が病気だと自覚したからこそ、家族にもその病気のことを知ってほしかったです。




でもそのとき、めちゃくちゃ葛藤したんですよ。


自分の状況を知ってほしいのに、たかだか半年辞めたくらいで偉そうなことを言う権利はない、って思ったんです。


自分の中では半年間もギャンブルを辞めたことがなかったので、嬉しかったんですけど、そんなこと家族からしたら「大したことない」って思われるかもしれないじゃないですか。


そんな恐怖があったんですよね。




だから僕は、とある方(Twitterでお世話になっていた当事者と家族の方)に相談をして、家族に手紙を書くことにしました。




文章はA4ノート4枚くらいの量だったんですけど、なるだけ自分勝手な表現は避けて、現状と思っていることだけを書くようにしました。




やっとギャンブル依存症という病気に罹っている自覚を持てたこと。

病気の治療のために病院に通っていること、

借金の返済が順調なこと。

半年間ギャンブルしていないこと。




家族一人一人に、謝っても謝りきれないけれども謝りたいということ。

いつか叶うなら、また家族で集まって、笑って話がしたい、ということ。


最後に、この手紙は、理解してもらいたくて書いているんじゃなくて、ただ僕の現状を伝えたくて書いたということ。





そこで僕は気が付いたんですよね。

思うこと、伝えることと、相手に理解してもらうことには、明らかに違いがあるって思いました。


理解してもらえるかどうかは、僕にはどうすることもできないんだな。って気が付いたんですよ。

これからの人生は、僕はそれを受け入れて生きていくんだと確信もしました。




思ったことを伝えるかどうかは、自分自身の問題で、それを実際に言うかどうかも自由ですよね。

でも同じように、伝えた相手がどう解釈してどう思うかも、相手の自由なんですよ。



多分、ギャンブル依存症の当事者の大半は、壊れてしまった人間関係を修復したいって強く願っていると思うんですね。


そのためにギャンブルを辞めるって方も多いと思います。僕もそうです。

でも、残りの人生で修復できるかどうかは誰にもわからないんですよ。


恐らく、相手の方にもわからないと思います。



だから、僕達ギャンブル依存症の当事者が出来ることって、根本的には本当に少ないんです。

ギャンブルを辞め続けること、お礼を言うことと謝ること。この2つしかないと僕は思うんです。




まずはとにかくギャンブルを辞め続けることです。


病気とはいえ、ギャンブルで関係が壊れたんですから、根っこにあるギャンブルは何が何でも辞め続けないといけないです。


関係修復のために辞めるんじゃないです。

ギャンブルを辞めた先に、もしかしたら関係修復があるかもしれないってだけなんです。

そこに期待したら辛くなるんですよ。


僕達にできるのは「ギャンブルを辞める姿勢」を見せることだけ。


僕は、自分のギャンブル断ちを家族がどう思うかはなるだけ考えないようにしてきました。

手紙の返事は期待も催促もしない。それが書くときに決めたルールでした。


でも、だいぶ後になって「届いた?」って聞いちゃったんですけどね。今も感想などは聞いていません。




そして、いつかも、偶然でも、相手と話す機会が来たら、きちんと目を見てお礼を言って、謝罪をすることです。

これは永遠の課題でもあるんですけど、いつかしっかりちゃんと伝えたいですよね。


生まれ変わった自分を見てほしい、って欲求を完全に消すのは難しいんですけ、伝えた相手がどう思うかも僕には変えられないものなので、苦しまないためにもなるだけ考えないようにする。


家族に対しては、この関係性を受け入れていかないといけないと思うんです。




「ギャンブルを辞め続けて、気持ちを伝える」って、すごくシンプルなのにめちゃくちゃ難しいですよね。

でも僕はさっき「思ったことを伝えるのと、理解してもらうのは別物」って言いましたけど、本当にここに尽きると思うんです。


ギャンブルを辞めていくために必死で行動していると、多分こんな感じで「自分と相手の問題を分けて考えることって大切なんだな」って思うシーンがに来ると思います。


で、これはちょっと予言めいたことなんですけど、思ったことを伝えるタイミングっていうのは、ギャンブルを辞め続けていると、自然とやってくる気がします。

不思議なんですけど、なんか勝手にそっちの方向に向くんですね。


僕は手紙を書いてから今日までの間に、何度か家族と会う機会がありました。

ギャンブル依存症に触れることは全くないんですけど、帰省したときには会って話してくれるようになりました。


家族には家族の人生がありますけど、その中で家族のタイミングで僕のことは見てくれているんだな、と実感できるシーンがいくつかありましたし、僕はそれで充分だと思いました。


これは。ギャンブルを辞め続けていれば誰にでも訪れることだと僕は信じています。


ちなみに「早く仲直りしたい」っていうのはエゴですからね。


まずは、そしてこれからも、自分の健康と幸せのためにギャンブルを辞め続けていきたいと思います。