0%でない限りは当たる可能性があるわけですが、数字に翻弄され続けるギャンブラーには強固な妄想癖が染み付いていて、薄い確率に人生を賭けているつもりになるほど期待しまくっています。


本来の確率に妄想と願望を上乗せして、期待度が50%もあれば「当たって当然のもの」と信じて疑いませんでした。

だから、当たり前のハズレに屈辱を感じ、遊技台や店舗へ言い掛かりに近い恨みを抱くんです。



信頼度40〜50%というと、パチンコやパチスロでは「激熱」と呼ばれていますが、僕はここに「持って生まれた豪運」という意味不明の上乗せを行い、内心では「上振れで3回に2回は当たって当然」という認識を持っていました。


なので、勝手に期待度を66%くらいに跳ね上げていました。いやぁ、アホですね。



これが「信頼度80%」くらいの予告になると、もう確定演出なんですよ。


ハズれることがおかしいんです。ありえない。

そういうことが2連続で起ころうもんなら、その店はなにかやっているんだと疑っていました。


この妄想トッピングのおかげで、散々負けまくりましたね。

本当、毎度都合の良いように考えてはドツボにハマっていました。


で、ふと思ったんです。

期待しなくなるのはどのあたりなんだろう、って。




僕の場合、パチスロのゾーン狙いを嬉々としてやっていたので、約15%くらいの期待度には余裕で飛び付いていました。

でも、5〜10%を下回るゾーンはスルーしていたので、多分そのへんが境界線なのでしょうね。


ただ面白いことに、パチスロで「たまに当たる小役」の期待度がだいたいそれくらいの確率で、そこにはめちゃくちゃ期待していました。番長のチャンス目とか。


同じ「5〜10%」なのに、ときには冷めた目で見て、ときには死ぬほど期待してるんです。アホですねぇ。



この素敵な思考の行き着く先に「今ならGOD引ける気がする」という妄想があるんです。


1/8,192を狙うなんて、まこと愚かの極みなのですが、誇大妄想著しいギャンブラーにとってのGODは良心的な確率の逆転フラグでしたね。


だって、パチスロのフラグの最小分母は1/65,536でしたから。


ハーデスで毎日クラッシュGODを引く夢見る者にとっては、1/8,192も1/16,384も「まだ全然引ける確率」として認識していました。


ある年明けの初当たりが、なんとクラッシュGODだったことがあります。そのときは「やっぱり自分は持ってる」と心から酔って、数年間自慢していました。




そりゃ数十年間パチスロを打ってきているのですから、ところどころで薄い確率を当ててきています。


トータルで見れば、それは「普通に起こる確率」の中で当てているものなんですが、当人からすれば「神がかり的」な大事件なんです。神に愛されているから起こる引き。




この「運命力」を過信しすぎた結果、気が付いたら死ぬほど負けているんです。



昔、4号機の南国育ちに設定6が投入されるイベントに参加したことがあります。


全6台のうち、僕の隣が初当たりから3連。

この時点で皆諦めムード。でも、とりあえず初当たり1回だけ様子見よう、の流れになります。


僕も700ゲームくらいで当たりましたが、当然単発。ハマり過ぎ。

ここで辞めればいいのに「25%引いただけかもしれない。もう一回。」と考えるのが僕でした。


次の当たりで飛ぶものの2連。

ここで「蝶が飛んだ事実」だけを正当化して、「これは2連目に薄いところを引いちゃったんだ。もしかしたらストック飛ばしかもしれない。」と信じて続行するんです。

設定1のモードAで20%を引いて飛んだ可能性は見ません。


その間に隣がバチクソに設定6の挙動を見せ続けても、「今日は複数台に6を入れているに違いない」と盲信する始末。ここまで来ると、もう手に負えません。



...で、大火傷を負って、設定6否定を納得できる頃には単発が数回積み重なり、「エナられるのは嫌だから、飛ぶまで打とう」と都合良く頭を切り替えるんです。


バケ2連で5万円負け。ジ・エンド。

懐かしい!あるあるでしたねぇ。



確率というのは、都合の良い妄想を好きなだけ連れてきてくれます。


起こる確率が0でない以上、薄いところを引いただけだと信じることができます。実際に薄いところを当てた過去があるので、本人の中では「ありえる話」なんです。




「神様も無慈悲ではないだろう」と考え、負け続けて土壇場の状況になればなるほど、信頼度は上乗せされます。

逆に、とても調子の良いときも「今は何をやってもうまくいく」と信じるので、信頼度は上乗せされます。


本当に都合良く解釈するんですよね。メーカーからすれば、打ち手が勝手に妄想して深追いしてくれるんですから楽ですよね。




スーパーでアメリカ産の牛肉を「いや、これは偶然紛れ込んだ国産牛に違いない」と信じて買う人はいないのに、ギャンブルにおいてはそういうぶっ飛んだ発想を当たり前のように信じる。うーん。


冷静に「過去の事象は今に影響しない」と思えたなら、多分依存していなかったんじゃないかと思っています。


まるでマシーンのように、感情を伴わない正確無比な稼働が出来ていたなら違ったと思いますが、そもそもそういう思考を持てるタイプの人間じゃなかったんですよね。


偶然に賭けるなら、「街中で道案内した外国人が石油王な確率」のほうがまだ良心的な気がします。