こんばんは。
失った信頼を取り戻すことは一生叶わないかもしれないと自覚する瞬間、隣にはいつも「いっそのこと死んでしまいたい」と思うくらいの後悔と絶望がありました。
多分、負けに負けてズタボロになったときに強く感じるんです。
でも、ギャンブルをし続けた結果こうなったんだとわかっていても、受け入れたくないというか、認めたくないというか。
借金だらけの立場にも関わらず「少しくらい自分のことを理解してくれよ」とも思っていました。
反省はしているんです。もう二度とギャンブルしないと心から思っているんです。そのときは。
それでも胸の内のどこかでは「なんでわかってくれないんだ」って思ってもいるんです。
傷付けて振り回した立場にも関わらず、苦しい状況にいることを少しでも知ってほしくて、出来ることなら支援してほしい(精神的にも金銭的にも)と相手に求めたいズルい気持ちもありました。
今ならわかりますが、そういうときって信頼を取り戻すことは絶対に叶わないし、多分ギャンブルも辞められないと思います。
信頼を取り戻すためには、信頼されようとしないこと。
辞め続けてそんなに長い期間が経ったわけではありませんが、そう確信しています。
ギャンブルを辞め続ける理由が「人に信頼されたい」のままだと、僕は相手の感情に行動が支配されてしまうんです。
ギャンブルの問題以外にも当てはまるんですけど、相手に認められようとして、ときには言いなりになって生活していると、僕はいつの間にか「こんなに頑張ってるのに、なんでわかってくれないんだよ!」って思い始めるんです。
「◯◯日間も打ってないんだよ」とか「借金が◯◯円減ったんだよ」を、頑張れば頑張るほど相手に伝えたくなるけど、それって意味がないんですよ。むしろ逆効果。
「で?」って言われたら、何も言えなくなる。
それに、相手が自分のことをどう思っているのか気になって、いちいち聞き出したくなるんです。
褒め言葉を聞けたところで「本心で言ってる?」って疑うのに、その場だけでも安心したくて、しつこく聞いてしまうと思います。その後の自己嫌悪もセットで。
これが心の健康には本当に良くない。
極論ですが「ギャンブルを辞め続けていることは、死ぬまで相手に知られなくてもいい」と思えたことが、僕にとって大きくプラスに働きました。
これ以上賭けたら死ぬしかなくなるような状況って、まずはとにかくなんでもいいからギャンブルを辞めることが一番だと思ったんです。
借金を返さないといけない。
支払いをどうにかしないといけない。
家族からの信頼も取り戻したい。
幸せになりたい。
満たされたい。
立派な大人になりたい。
こんなことを一気に求めてしまいがちだったんですけど、いきなり全部は絶対無理なんですよ。
こういうのは全てギャンブルを辞め続けた先にある。...かもしれない。わからないけど辞めてみよう。そう思ったんです。
まずは賭けない努力と行動に全力を尽くそうとして、そこ一点に集中し続けること。
そうやって辞め続ければ、自ずと確実に借金は減りますし、頭の中は冷静になっていきますし、新しい楽しみも見つけられるかもしれないな、って。
でもそれはどこまでいっても「かもしれない」なので、やってみないとわからない。
けど、結果がどうなろうがギャンブルをし続ける生活よりは絶対マシなはず。
それだけは確かだと思いました。
特に「人からの信頼」って、パチンコの演出と違って数値化できないし、人の感情は常に変化するし、変えたくても絶対に変えられないものなんですよね。
絶対にコントロールできない。
だから悩んでも考えても仕方がない。
思い悩むエネルギーがあるのなら、それもギャンブルを辞め続ける力に転換したほうがいいと思いました。
確かにギャンブルでたくさんの人を傷付けたし、それは反省し続けなければならないんですけど、「いつ許されて信頼されるか」なんてことは何日何時間考えたって変わらんのです。
だから僕は、黙って辞め続けて、いつか僕が死んで、その後に家族が僕のブログやらをなにかの拍子に見つけて、辰哉は辞めたまま死んだんや、って知ってくれたらそれでいいや。って思ったんです。
もしも生きている最中に偶然知られることになっても、知られたことは忘れよう。
だって、頑張ってるアピールほど惨めで痛い姿はない。
そうも思いました。
生きているうちに謝罪をしたい気持ちもありますし、また家族みんなで団欒したいって思いました。
でも、それを聞き入れてくれるかどうかも相手次第で、僕にはどうしようもない。
ただ一つ。
僕にできるのは、ギャンブルを辞め続けて、借金を返して、ちゃんと働いて、二度とギャンブルを必要としない性格と人生を手に入れることしかないんやって思いました。
辞め続ける姿を見せびらかすためにギャンブルを辞めるんじゃないんだ、と何度も言い聞かせました。
誰かに褒めてもらうためとか、信じてもらうためにギャンブルを辞めるんじゃなくて、これからの自分のために辞めるんだ、と。
例えギャンブル依存が精神疾患だったとしても、自ら招いた結果ならその責任は残りの人生できちんと取らないといけない。
相手の心が安らぐのなら、ときにはきちんとした謝罪も必要だと思います。
でもそのタイミングは、恐らく僕が求めているときには来ないはずなんです。
「許してください」
「はい、許します」
で終わることじゃないと思います。
紙に「許します」と書いてもらって終わらせる話でもないです。
もしも“許された状況”があるとするなら、多分それって言葉じゃなくて雰囲気に現れると思います。
普通に会話できるようになって、冗談言って笑い合えるような空気。多分。
ギャンブルを辞め続ければ、いつかそんな日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
そこに囚われて苦しい思いをするんじゃなくて、そんな日を夢見て今日一日を頑張れるのなら、少し想像するくらいならいいんじゃないか、と最近は思います。ちょっとだけ。
信頼回復は、ギャンブル断ちの長い道のりの途中で出会えるかもしれないもの。出会えないかもしれない。
「人からの信頼なんてそもそも存在しない」と思うことで楽になれるときもありました。諦めじゃなくて、一つの考え方や概念として。
とにかく!
そういうことに気を揉むくらいなら、今日一日を賭けずに過ごすこと!
僕にできることは本当にそれだけです。