僕はギャンブルを辞めて以来、何度も「こんなことある?」と言いたくなるような偶然の出来事に救われています。
依存症と闘う方にも同じような経験をされた方、いるのではないでしょうか。
底付きの記録【4】直後から、初めての精神科通院と自助グループの戸を叩く日までの出来事です。
7月12日の大敗以来、僕のギャンブルはピタッと止まりました。
競馬とボートレースのオンライン会員を解約し、YouTubeでギャンブル系の動画を一切見なくなりました。
おすすめなどで出てこられては困るので、ギャンブル実践動画で溢れたGoogleアカウントは削除しました。
その代わりに、ギャンブル依存症に関する動画を見るようになりました。
最初は抵抗がありましたが、嫌々でもやってみることを意識して、見てみました。
これが良かったです。
後のブログでも触れていますが、何もすることのない休日に、あたかもお経でも聞くかのようにギャンブル依存症に関する動画を見まくり、聞きまくりました。
ギャンブル依存症と向き合っていくために必要な知識と基盤がこの時に得られ、そして作られていったんだと思っています。
そして、母の引っ越しの件。
施設の担当の方に、正直にお金の話をしました。
その結果、初回の家賃2ヶ月分を、特別に1ヶ月分にしていただくことができました。(後日に回す、という意味。)
大阪にある引っ越し業者に電話をして、遠隔で母と取り次ぎ、家具や家電の配送の手配を行いました。
あまり気持ちの余裕がなく、自分で引っ越しを手配できない母に苛立ってしまい、何度か不満をぶつけてしまいました。
そして、この「家賃1ヶ月分と引っ越し業者の費用の合計」が、97,000円だったんです。
底付きの記録【3】で書いた、これを覚えていますか?
僕にはこれが偶然とは思えませんでした。
やろうと思えば、この10万円を借金して、もう一度ギャンブルも出来たはずです。
でも、その後その気すら起こらなくなることになって、結果的にこの10万円の枠がここで生きました。
あまりにも金額がピッタリ過ぎて、悪寒がしたのを覚えています。
あと1万円でも多く負けていたら、と思うと、本当に恐ろしいです。
そして、母は予定通り体験入所を終え、引っ越しをして、今もそこで元気に暮らしています。
ちなみに残りの3,000円が、次の給料日までの生活費になりました。
次に、仕事のことです。
僕が本社に呼ばれたあと、遅刻常習だった数ヶ月間に上長だった方々へ聞き取りが入りました。
当然、僕がそんなことになっていたとは知らないわけで、僕はその方々からの信用を裏切る形で失ってしまいました。
後に直接謝罪させていただく機会を頂きましたが、これには仕事への姿勢で示すしかないと今も思っています。
「おまえのことなんか、知らん」と言われた方には、ギャンブル断ち半年の時に偶然電話で話す機会があり、そのことを報告すると「素晴らしいね」と言ってくださいました。
あの時、愛を持って突き飛ばしてくださったのだと、この時気付き、涙が出ました。
そして、職場の仲間一人一人へ、今までの遅刻を謝罪しました。
さらに、自身のギャンブル依存症と通院のカミングアウトをこの翌週からしていくことに繋がります。
僕は、職場で自身のギャンブル依存症と借金、通院をカミングアウトしています。
そうすることで、二度とギャンブルの出来ない状況を作りたかったんです。
自身の甘えから、また同じような過ちを繰り返したくありませんでした。
精一杯の、一方的な誠意のつもりでもありました。
カミングアウトによってその後の関係が悪化した人は1人もいませんでした。
僕は人に恵まれている、と思いました。
むしろ、励ましたり応援してくださる方、興味津々に色々と質問してくる方までいました。
周りの人の温かさが、嬉しかったです。
失うものは、もう何もない。
そう思いました。
だから、自身のギャンブルで引き起こしたことに向き合うためには、隠し事をする必要はない。
そう考えました。
「覚悟」なんて立派に言えるものでもありませんでした。
でも、この後しばらく続く葛藤や渇望との闘いの際に、その気持ちが確かに心の支えになりました。
「もう後がない状況」から来る必死さと、「もう失うものは何もない」という開き直りに近い気持ち。
これが、ギャンブル断ちに向けた最初の行動の指針になりました。
それでも、一番近い距離にあった自助グループの、一番近い日の参加は見送ったんです。ビビってしまって行けませんでした。
だから、その次に近いところにあるグループに向けて、不安に感じている点をメールにして送りました。
頭に「ご担当者様」と宛名を付けた、ビジネスライクでお堅いメールを送りました。
このメールに丁寧な返信をいただけたことが、行こう、という気持ちにさせてくれました。
そして、メールに返事をくださったその方が、会場で一番最初に待っていてくださいました。
これも偶然とは思えません。
こうして僕は自助グループと繋がりました。
当日、開始時刻より早く着いて、緊張して会場のトイレでお腹を下したことを懐かしく思い出します。
ここまでが底付きの後日談になります。
偶然の力に生かされている感覚は、ここから何度も味わうことになりました。そのことはまた書きたいと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。