追悼、小澤征爾さん | たっちゃんの鉄楽切り抜き帳

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「鉄道」を趣味の対象として、さまざまに楽しむ活動を記録するブログです。


 9日の夜、音楽好きの仲間数人から立て続けにメールが着信した。いずれもマエストロ・オザワの逝去を伝えてきたのだった。
 知らせを聞いて、これまで聴いてきたコンサートが次々と思い出された。来日組では、長年のコンビだったボストン交響楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、そしてウィーン国立歌劇場の引っ越し公演。国内組では、新日本フィルハーモニー交響楽団、サイトウキネン・オーケストラ、そして水戸室内管弦楽団。マエストロが創り出すサウンドは、いつも音楽への愛と情熱に溢れていた。
 1989年のボストン響は、公演日近くになってようやくチケットがとれたのだが、入手した席は1階の前から3列目。このあたりだと指揮者の後ろ姿と最前列の奏者しか見えない。終始、雄弁に音楽を語るマエストロの後ろ姿を見て二時間が過ぎた。
 1993年のウィーン・フィルでは、アンコールに喜歌劇「こうもり」序曲が演奏された。2002年にニューイヤー・コンサートの指揮台に立つことになるのだが、9年も前にマエストロのJ・シュトラウスが聴けたのは嬉しかった。
 2000年のウィーン・フィルは、東京公演だけでなく、仕事を休んで大阪公演も追っかけた。ザ・シンフォニーホールで聴いた二公演は我が人生の宝の一つだと思っている。
 国内オケでは、やはり新日本フィルが多かった。何度か、サントリーホールのバックステージ席で聴くことがあったが、大きく身体をのけ反らせるようにダイナミックな動きで団員をリードする指揮姿に目が釘付けになった。
 若手演奏家の育成にも熱心だったマエストロ。自身がサイトウキネン・オーケストラを立ち上げたように、いつか門下生がマエストロのDNAを継承したオザワキネン・オーケストラを結成する日が来るのではないだろうかと期待している。
 マエストロの訃報を受け、全世界から続々と弔意のメッセージが寄せられている。アジア人という偏見や差別と闘いながら欧米の楽壇に切り込み、確固たる実績を作った証。同じ日本人として誇りに思う。
 全力で88年の音楽人生を駆け抜けたマエストロ。どうかゆっくりとお休みください。心よりご冥福をお祈り申し上げます。