日常の空間と時間のスケール | 「子どもを守る結城市民」のブログ

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茨城県西地域から
ゆるゆるスタンスでできる事を継続していきます。
空気は読んでも流されない。

ちょっと壊れる話題が続きますが、先日、私の自転車のペダルがかなりガタついてチェーンが外れ易い状態になっていたので、修理を頼もうと自転車屋に持っていきました。

そうしたら、なんと修理不能という事で、あっけなく廃車となってしまいました。

見た目は少し痛んでいたものの、まだ十分乗れるだろうと思っていたのに加え、愛着もあった。
何とか自分で修理してみようとも考えましたが、おそらく溶接やねじ切り作業も発生しそうで、道具もないことから今回は諦めることに。

そんな惜しむ思いも残り、新しい自転車を買うのにためらいがあり、しばらくは歩くことにしました。

自宅から職場まで3キロ弱で、これを毎日自転車で通っていたところが、歩きになりました。

以来、2ヶ月くらい経ちますが、なんだか自分のリズム、日常の空間と時間のスケールを思い出してきたような感じがします。

子どもの頃、学校まで歩いていきましたが、寄り道したり、時間がなくなったら走ったりした、あの頃の感覚です。

最近はやたらと時間が経つのが早くて、なんなんだろう?と思っていたわけですが。

何のことはない。

本来自分が身体を使って行うべき労力を、道具が資源やエネルギーを使って変わりにやってくれていたので、自分はなかば操り人形のようになっていたわけですね。

「最近やけに時間の経つのが早い」という方。自分の日常のスケールを取り戻しましょう。

極力エネルギーを使わず、過度に便利さを求めなければ、なんとなく気づくものがあるのではないかと思います。

我々人間の本来のリズムやスケールからすると、原発による電力なんて、本当に必要ないものなのだと思います。