そうしたら、なんと修理不能という事で、あっけなく廃車となってしまいました。
見た目は少し痛んでいたものの、まだ十分乗れるだろうと思っていたのに加え、愛着もあった。
何とか自分で修理してみようとも考えましたが、おそらく溶接やねじ切り作業も発生しそうで、道具もないことから今回は諦めることに。
そんな惜しむ思いも残り、新しい自転車を買うのにためらいがあり、しばらくは歩くことにしました。
自宅から職場まで3キロ弱で、これを毎日自転車で通っていたところが、歩きになりました。
以来、2ヶ月くらい経ちますが、なんだか自分のリズム、日常の空間と時間のスケールを思い出してきたような感じがします。
子どもの頃、学校まで歩いていきましたが、寄り道したり、時間がなくなったら走ったりした、あの頃の感覚です。
最近はやたらと時間が経つのが早くて、なんなんだろう?と思っていたわけですが。
何のことはない。
本来自分が身体を使って行うべき労力を、道具が資源やエネルギーを使って変わりにやってくれていたので、自分はなかば操り人形のようになっていたわけですね。
「最近やけに時間の経つのが早い」という方。自分の日常のスケールを取り戻しましょう。
極力エネルギーを使わず、過度に便利さを求めなければ、なんとなく気づくものがあるのではないかと思います。
我々人間の本来のリズムやスケールからすると、原発による電力なんて、本当に必要ないものなのだと思います。