龍二ぱいせん | SOIL&“PIMP” SESSIONS タブゾンビブログ「TABU ZOMBIE」Powered by Ameba

龍二ぱいせん

13日生まれに縁があるのですが。
昨日は、龍二パイセンの誕生日でした。


龍二パイセンは、俺の1つ上で、俺が少3の時に吹奏楽部で出逢い、おれはトランペットで龍二さんはバリトンサックスでした。
とても目立っていて、人気もあって、モテモテで、でも勉強は全くできない、そんな先輩に憧れておりました。
その頃に今の自分の核になる部分を徹底して、叩き込まれましたよ。
エロスとか。エロスとか。あとエロスとか。

僕らは附属小、附属中で、一緒で、更に東高校と謂う、附属から余り選ばれない、進路迄一緒でした。
まぁこの東高校と謂うのが、なかなかファンキーで、エキセントリックな高校でして、勉強以外に集中するには、もってこいの学校で、おかげせまで音楽祭漬けの毎日を送る事ができました。龍二さんも俺も違うバンドでボーカル。俺の場合は、デスメタルバンドだったので、ボーキルでした。
色んなバンドを教えて貰ったり、タイバンさせて貰ったり、学びが多かった高校生活、刺激的だったな。龍二さんとの思い出を回想すると、ほとんど書けない事ばかりなので、残念。。。
でもそこには必ずユーモアがあるんです。ユーモアを忘れないそれが龍二さん。


龍二さんは、アメリカに留学して、日本に帰ってきたら留年して奇跡的に
同じクラスになりました。

その後入れ違いで俺がアメリカに行ってしまい、同じクラスでの思い出は少ないのですが

俺がアメリカに行って帰って来た時迎えにきてくれたりもしました。

後に龍二さんは、途中で、高校やめて、プロのミュージシャン目指して、東京に行き、俺も高校卒業してから追いかけるように上京し、プロのミュージシャンを目指しました。

龍二さんはとても歌がうまくて、才能がありスター性も抜群で、バンドも、好調でした。

俺は、俺のその時やっている音楽に見切りを付けて、新しい事を、しかも、トランペットで模索しはじめた頃で、この頃から余り連絡をとらなくなって数年後
ソイルで鹿児島に行った時に、龍二さんがライブに来てくれて、懐かしい話で盛り上がり、また今度ーっ!なんて云って別れたのが最後でした。

悪性脳腫瘍でした。34歳で生涯を終えてしまいました。

お通夜、お葬式には、沢山の人が来ました。いつも明るく、悪ふざけは過ぎて、ギャグのセンスは抜群で、仲間に囲まれてた龍二さん。

昨日13日は龍二さんの誕生日、その日にブログに挙げておめでとうを謂いたかったのだけど、うっかり。

うっかりな位が先輩の後輩らしくていいでしょう?

葬式のあと高校の頃の仲間と東高校に行きましたよ。

僕らの行っていた国際教養科はもう無いらしいです。

校門前で、頭の悪そうな髪型をしている、でも善い目つきの生徒に写真を撮ってもらいました。
懐かしいでしょ?
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まぁあの世に行ったら、龍二さんはかっこいいままで俺らはしわしわだけどもまたアソビましょう!

義村龍二て云う凄い先輩がいたっていう話を皆に話したかったのですが思い返すと話せない事ばかりでした!

でもすげー先輩でした。


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