松山 | SOIL&“PIMP” SESSIONS タブゾンビブログ「TABU ZOMBIE」Powered by Ameba

松山

愉しかったねー。松山。
久々にハーバー演奏したね。


今日は広島です。愉しむぞー!



さて三宅君のブログを、読んで少しばかり私も協力させていただこうと思ってます。
是非三宅君のブログ読んで下さい。






http://blog.goo.ne.jp/nbsa-inushiki/



ここからは、三宅君んのブログの抜粋。

来年の4月3日に、タートルアイランドと俺を、富山に呼んでくれるシューヘイという男が居る。
彼が、中学時分にサッカー部で共にプレーをした友人が、或る日突然TVに出ていたという。
涙ながらに彼がTVのニュースで訴えていたのは、「重度の先天性・心臓疾患の6歳の娘に、米国で移植手術を受けさせたい」ということ。(15歳以下の心臓移植は、日本では法的に認められていない)

法的な問題で、このようなケースがたびたび、この国では報じられる。

保険の効かない移植手術は、1億円かかる。
渡航費だけでも、心肺の維持装置や医者、看護婦の同行が必要なので、1700万円かかる。
なんやかんやで、1億4000万円が必要である。

生まれた時から難病と闘ってきた彼女は、
一時はペースメーカーをつけて、半日という制限がありながらも保育所に通ったりも出来たのだが、
今年、小学校に入ってからまた容態が悪化。
10月には危篤状態でICU入りとなりながらも、
現在は小康状態となって、一般病棟に移っているそうだ。
(厳しい水分、食事制限で心臓の負担を極力、減らしながら生きている)

心臓の筋肉が拡張して薄くなり続けて、最後には死に至るという病気の性質上、
本来ならば喜ばしい身体の成長が、刻一刻と彼女の命をリミットにかけている。


困っている人ならいくらでもいる。
命の危険にさらされている人もいくらでもいる。
お金があったら助かる人もたくさんいる。

そんなのキリがないじゃないか

そういう声もあるだろう。

だが僕はこうおもう。

「そんなことを言ってたら、それこそキリがないじゃないか」
偶発的に目にした、或いは縁があった人が、助けるのが人の情けだろう。

12月10日までに、一時金としての5000万円を集める必要があるそうで、
これが支払えないと、手術を内諾してくれた米国の病院が受け付けてくれなくなる。

現在、募金は3800万円を越えた。

じゃー、このブログの読者が一人1万円づつ募金したら
命の望みが繋がるということじゃないか!

この日本の1億3千万人の中の1万4000人が1万円分の我慢さえすれば
小さな女の子の命が救えるのだったら、それはなし得る話だし、なし得なかったらあんまりな話だと思う。
お金はバーチャルな価値観でしかなく、それに執着することは生きる上で必要だが、
命と引き換えになるものでは、決してないと思う。

僕にもネンチューさんの4歳の娘がいる。

子供が居なかった時よりも、こうした話には敏感に反応するようになったが、
かといって、子供の居ない若い人たちにも、想像力を逞しくして考えてほしい。
あなた自身も多分に、そうした「子供たちへの愛」という見えない社会的な温もりに育まれて、生意気言える年齢まで育てられて来たのは確かなのだ。(むろんこの社会には、恨みや文句言いたい部分もたっくさん在るだろうけれど)

まずは、命の望みを募金に託そう。
そして、そのアクションを起こした人には必ずみえてくるものがある。
法律の問題や、世の中のことが。
そこに、勇気をもって関わりを持ってほしい。
西洋医学と東洋医学のバランスや、米国や日本という国家や、生と死にまつわる価値観の中で、日々活き活きと揺れ動いて葛藤していて欲しい。その問いかけ自体が、人生の答えなのだ!
そして行動して欲しい。

ドラスティックでも
ヤンキーでも
冷めてても
グレてても(俺は今だにグレて居るのかもしれないヨ)
モンタージュ、じゃねーや、えええと、最近覚えたあの言葉、、、
モラトリアム!
でもなんでもいいんだ。

若者をそうさせるには充分なクソな社会だが、
しかし心の奥底にある、決して消えない灯火(ともしび)を
こういう時こそ、熱く燃やしてほしい。
世渡りするには面倒でしかない、その青臭いまでの炎を、時には直視して動いて欲しい。


池田ゆうりちゃん(6)の願いは「元気になって、学校に行きたい。みんなと一緒に遊びたい」。
このささやかな願いを、叶えられるのは、僕ら自身だ。

「国」とは僕らであり、法律よりも以前に「我々自身」が明白に営んでいく「日々のことごと」そのものが、「国家」を造っていくのだと思う。
僕は、モラルとは本来、あらかじめ定められていることに盲目的に従うことではなく、今我々がどう行動するかによって定められていく気運であり、道徳というのは、僕らがどう生きたか、によって後世の子供たちに受け継がれて行く「大人の生き様」の示しであるべきだと考える。
歴史から学び、体験から学んだことを、堂々と実行することだと考える。

世界の死なんとする子供たちすべてを助けることは遠い夢かもしれない。

だが、同じ国に生まれたヨシミで、たった一人の子を救うことは、現実に可能なのだ。
そのハードルは高くない。
1万人の1万円は、消費社会を謳歌するために在るのみではない。



皆さん何卒、僕の友人の友人を助けるために、募金へのご協力を、よろしくお願いいたします。

彼女に、ロスタイムのラストパスを送ってあげたいのです。
そして後は、彼女がそのパスをみごとにゴールしてくれることを祈るのみです。

せめて、15分の時間を頂いて、下記URLをチェックしてみてもらえないでしょうか。
振込先などの情報も、そちらのサイトに掲載されていますので、ご参照くださいませ。

この長いお願いの終わりに、
彼女のたった一人の親である、お父さんのコメントを抜粋して締めさせていただきます。(全文は下記URLに掲載しています)


「~(前略)
このまま、静かに終わりを迎えるべきなのか…
皆様のご好意におすがりして移植という可能性にかけるべきなのか…
本当に悩みました。
しかし、意識が無い中でも握った手を握り返してくる悠里の姿に突き動かされて、 移植をするという決断に至りました。

 担当の先生の御尽力により移植への道筋は開かれましたが、実際に手術を受けるには、救う会をはじめ多くの皆様のご協力を頂かなければなりません。

 どうか皆様、悠里が笑顔で走り回れるような未来を手に入れることができるよう、ご支援の程何卒よろしくお願い致します。

池田 健史   」


http://saveyuuri.web.fc2.com/         


三宅ブログ | コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )