成功と失敗、不可分なもの
とあるマンガの登場人物、麻雀の天才アカギは言う。
「無念であることが、そのまま「生の証」だ。
生きるってことは、不本意の連続で
時には全く理不尽なひどい仕打ちだってある。
けれど、たぶんそれでいい。
無念が「願い」を光らせる。
「願い」を持ち、同時に、今ある現実と合意すること。
不本意と仲良くすること。
そんな生き方が好きだった。
たぶん、愛していた、無念を。」
(アカギらの言葉をもっと読みたい方は
ひとつ下のアメンバー限定記事 をご覧ください。)
時が過去→現在→未来と流れる以上、
過去と現在と未来に関係性がある以上、
原因→結果という因果律がある。
そうした因果律のひとつが
勝負→勝ちまたは負け、というもの。
もし勝負を行うなら、そして勝つのが好きなら
負けも好きにならないといけない。
負けを強く嫌えば、勝負に参加できなくなり
勝負を行わなければ、勝ちも得られなくなる。
たとえば、99個のあたり、1個のはずれがあるくじをひいて
あたりが出れば、100万円もらえる。
はずれが出れば、一億円の借金を背負う。
そういう勝負があったとする。
一億の借金を背負うことが絶対に嫌なら、
最初から、この賭けを降りなければならない。
たとえ、勝つ確率が99%だったとしても
残り1%にならないという保証はないのだから。
100人がくじを引けば、そのうち1人は必ず誰かは負けて
それが自分になるかもしれないのだから。
(ちなみに、この賭けで、絶対に儲ける方法はある。
それは、胴元になること。
1人から1億円を受け取り、
99人に100万円ずつ、合計9900万円を渡す。
すると、手元に100万円が残る。
ただし、手間はかかるし、お金を回収できないリスクはある)
もし、タイムマシンがあれば
勝つことが分かった→だから勝負を行う
と、因果律を逆転させることも可能となるだろう。
しかし、実際には無理な話。
人生は、すべてギャンブル。
不可分な成功と失敗の連続。
失敗を嫌いすぎれば、成功は得られない。
お金にしても、恋愛にしても、仕事にしても。
とはいえ、やっぱり失敗を好きになるのは難しい。
アカギのような人は、ほとんどいないだろう。
そこで、私を含めた普通の人が
失敗を嫌いすぎないための奥の手。
それは、「人生万事塞翁が馬」。
悪いことが起こったからこそ、いいことが起こる
という場合もある、ということ。
それに、
失敗して苦境に置かれたからこそ、ハングリー精神を発揮し
先に進み、すばらしい業績を残す人も多いだろう。
成功ばかりしていては、今のままでいようと思い
いつまでもその場に留まることしかできないかもしれない。
そう思うと、失敗もわるくはない。
失敗は、成功と双子の兄弟。
無念は、自分が勝負をした証。
無念ってカッコイイ!
でも、どちらかといえば、無念は無いほうがいいなあ(^-^ゞ