幽霊を信じるor信じない

 幽霊 オバケ という意味合いと【霊】という意味合いを持ち合わせてると思う。


【霊】も【幽霊】もいるのではないか? と思っている。皆【魂】なのだから


ただ 『私は幽霊が見えます』的な話しをする人を

心から信じる ということは… ないかもしれない


少し言い方を変えると

【幽霊】つまり 呪縛霊 や 未成仏霊 など 言ってみれば 徳の低い と言わざるを得ない【霊】を見る

つまり 見るだけ の人。それを吹聴する人は

その 徳の低い【霊】と 同じレベル 周波数と言うことになる。


自分が もっと【魂】の徳を積み レベル が上ならば

見る というより 感じる【観る】となるのではないか? そして その【幽霊】とやらを 未成仏霊であれば 導き 昇華させて差し上げることのできる人なのだと思う。

つまり【幽霊】を見た 見える〜! と吹聴する人は

呪縛霊 未成仏霊と 同じ周波数であり レベルだということ。


ならば 普段の生活から 徳を積み そんな【霊】【魂】と出会った時には 導き 昇華させることのできる【人間】という形をした【魂】でありたい。


【菩薩】と聞いて きっと 弥勒菩薩や地蔵菩薩など仏像や【仏】を連想すると思う。

でも【菩薩】とは 名詞ではなく【生き方】なのだ

自分をそして他人のために尽力し笑顔を作り出し

非力なりとも 救おう とする。見返りを求めず

そんな【生き方】をする者を【菩薩】と呼ぶ

【如来】へとなるため 【悟る】ために 日々 尽力する者を【菩薩】と呼ぶわけだ。


そうした生き方をしようと心に誓い行動すれば

それは【菩薩】なのだ。


そのような人には【幽霊】が見えました!

などということは起きないと思う。観える…

迷っているようなので導いた… そこまでの行動ありて 【霊】との対話だと僕は思うのだけど…


なので結論

【幽霊】は信じる!

が 見える そこにいる! とり憑いてる!と言うばかりの人は 呪縛霊や未成仏霊 などと【魂】のレベルが 同等だということだと思う。心で見える【観る】

 ことができ 導くことができる そんな【魂】を持ちたい。持てるような日々の生活をしていこうと思う


ByeBye

 

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