日本国憲法の改悪は断じて許さぬ!
ほんとは、日本国憲法が施行された5月3日の「憲法記念日」に書きたかったんですが・・・休日出勤でしたし、そのあとも忙しくてブログを放置しとりました。(・_・;)
遅くなりましたけど、それでも書きますぜ!
「平和主義」、「民主主義」、「基本的人権の尊重」を三本柱とする現在の日本国憲法を改悪することは断じて許さない!
最初に断言しておきましょう!
このところ、自民党・維新の会・みんなの党を中心とした改憲勢力が、憲法第96条の改悪を叫び、勢いづいていますが、これは非常に危険な動きであり、断じて認めるわけにはいきません!
1 日本国憲法の改悪が少数意見で可能になる
マスコミは、「衆参各議員の総議員の3分の2以上で発議」する基準を「過半数以上で発議」できるように緩和することに焦点を当てています。
これは、改憲勢力が自らの都合でルール自体を変えようとする悪質きわまりない行為です。
けれど、更に重要な問題があります。
それは、「有効投票数の過半数の賛成」で憲法を改悪できるように改めようとしていることです。
日本国憲法第96条には、国会議員による発議のあと、「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」と書かれています。
平たく言えば、「有権者の過半数が賛成すれば、憲法を改正できる」ってことです。
これを「有効投票数の過半数の賛成」で改憲できるように改めるというのは、何らかの理由で投票に行けなかった人の声は一切聞かないと言っているのと同じなのです。
具体的に考えてみましょう。
投票率が60%、そのうち憲法改正に賛成票を投じた人の割合が55%だったとします。
現在の憲法で考えると、有権者数に占める賛成票の割合は60%×55%=33%ですから、憲法を変えることはできません。
しかし、これを有効投票数の過半数で憲法改正ができるように改めれば、賛成票の割合が55%で過半数を超えていますから憲法を変えることができます。
有権者のうち、たった33%の賛成意見で憲法が改悪されてしまうんですよ!
投票した人の中には、「よくわかんないから『白票』を入れておこう」と行動される人もいるでしょうが、白票は「有効投票数」にカウントされませんから、その人の意見も無視されるのです。
これが本当に「民主主義」国家と言えるでしょうか?!
以前、自民党の森元首相が「無党派層は寝ていてくれればいい」と発言して問題になりましたが、今回の憲法改悪案は、まさにその考え方を憲法に盛り込もうとしている暴挙と言わざるを得ません!
自民党は、「3分の1の国会議員が反対するだけで憲法が改正できなければ、民意を反映できない。」と主張しているようです。
しかし、先の衆議院選挙では、小選挙区で43.01%の得票率しか得ていない自民党が、小選挙区定数のうち79%もの議席を得ている事実を忘れてはなりません。
憲法第96条の規定に対して民意がどうこう言うならば、その前に国政選挙制度を全て「比例代表制」に改め、民意を反映した国会議員の構成に改めた上で議論しろよと言わせていただきましょう!
今の国会で多数を占める会派の意見=「民意」と考えているならば、それは明らかに間違いであり、「代議士」としての資質を疑わざるを得ません!!
2 本音は平和憲法の改悪。飴をつるしてごまかし
自民党の憲法草案では、「国防軍」の創設を明記しています。
改憲派の勢力は、「有事の備え」「(軍隊を持つことが)当たり前の国になる」と主張しているようですが、本音は①海外に持ち出した資本家の資産を守るために自衛隊を海外に派兵できるようにする、②アメリカの引き起こす戦争に日本も派兵できるようにする、ことなんですよ。
これらは、従来から日本の財界やアメリカ政府が日本政府に繰り返し圧力をかけてきた要求です。
戦後、「警察予備隊」→「保安隊」→「自衛隊」へと名称変更して装備を増強し、憲法第9条の拡大解釈、後方支援を名目にした自衛隊の海外派兵、有事法制の強行など、なし崩し的に進めてきたのはそうした背景があるからですよ。
そして、そのシナリオの核心、いよいよ平和憲法の改悪に取りかかるため、まずは外堀を埋めようと憲法第96条の改悪に乗り出したってわけです。
このあたりは、実にやり方が汚い!
露骨に「憲法9条改悪」を表明すると、さすがに国民を二分する大議論に発展しかねません。
アジア諸国は日本の軍国化を懸念するでしょうし、そこから東・東南アジアの緊張が高まることになれば、アメリカだって良しとしないでしょう。
だから、まずはルールを変えてしまおうという戦略。
そして、国民受けするように「環境権を明記しましょう」とか飴をつるしているんですな。
中には「押しつけられた憲法を改める」と、とち狂った考えで96条改悪を主張している面もあるようですが(これについては後述)、いずれにせよ日本国憲法がどうあるべきかを本音で語らず、国民的議論と合意形成を十分に果たさないまま、勢いで憲法改悪を進めることは国民をだまし討ちにする行為であり、断じて許されない暴挙です!!
3 日本国憲法は帝国主義者に対する「押しつけ」
ところで、憲法の議論になると、いつも「日本国憲法はGHQから押しつけられたもので、日本人が作ったものではない」とか「日本だけ一国平和主義でいいのか」と主張する人がいます。
確かに、ある一面をとらえればそう見えるのですが、「真実」ではありません。
そもそも、日本国憲法の理念は「国際平和主義」であり、「一国平和主義」ではないんです。
憲法第9条だけを見ているとわかりませんが、憲法前文には国際平和主義の理念が明記されており、その理念を実現するためには戦争を放棄し、戦力を持たず、交戦権を認めないことが不可欠と考えたからこそ憲法第9条が盛り込まれたのです。
「日本国憲法」は、時代に先駆けて作った世界に誇るべき憲法であり、日本政府はその理念を世界に発信していく立場にあります。
それにもかかわらず、憲法の理念をかなぐり捨て、力で紛争解決にあたる道を選ぶなら、時代の逆行!愚の骨頂!
いわば「猿へ退化する」ようなものです。
もともと、「戦争放棄・軍備全廃」の考え方は、GHQから押しつけられたものではありません。
自由民権運動が進んだ時代から国内で議論されていたことです。
例えば中江兆民が書いた「三酔人経綸問答」でもその理念が書かれています。
中江兆民がその考え方だったかどうかは別にして、当時からこうした議論が活発に行われてきたことを伺わせます。
また、戦争放棄・軍備全廃という憲法第9条の理念は、当時の幣原喜重郎首相から提案されていたことが、幣原喜重郎、ダグラス・マッカーサー両氏の証言から明らかになっています。
自由民権運動時代の民主主義・平和を求める運動が憲法研究会などの憲法草案要綱に受け継がれ、幣原首相の提案もマッカーサー会談を通じて取り上げられ、それらを基にして作られたGHQ案が国会に諮られ、国民の大多数に歓迎されて現在の日本国憲法が存在しているのです。
これらの歴史的経過を踏まえれば、「日本国憲法はGHQから押しつけられた」という認識が、歴史上のごく一部の現象だけをとらえた主張であることがわかります。
更に言えば、「押しつけ」を誰が誰に行ったのか?!
GHQが日本国民の民衆に押しつけたのではありません。
それは、自由民権運動の時代から受け継がれてきた理念を持ち、戦時中も命を張って「反戦・平和」を訴え闘ってきた先人の英雄たち、日本の侵略戦争で被害を受けた国々の思いや、日本帝国主義の転換を求めた国々、すなわち「民主主義・平和主義を求める国内外の人々」が、当時の日本の支配者、すなわち「帝国主義者」に対して押しつけたのですよ。
では、なぜそうする必要があったのか?
それは、新憲法を制定するとき、政府や民間から多数の憲法草案が提案されたのですが、当時の日本政府が作り出した草案は、明治憲法とさほど変わりなく、「国体護持」(国民体育大会ではないぞw)を第一に考えた内容だったからです。
あれだけの侵略戦争を引き起こし、国内外の人々を殺し、殺されるという惨劇を引き起こしたにもかかわらず、何の反省もなく「国体護持」に固執しようとした当時の日本政府は、正気の沙汰ではありません!
そんな状態だったからこそ、民間草案などを基に作られたGHQ案が示されたのですよ!
現在の日本国憲法を見ていただければわかりますが、国民の権利を制限する条文はほとんどありません。
むしろ、戦前の教訓から国など権力を持つ者に対して義務を課し、国民の権利を保障するよう定めているのです。
よく言われている「環境権」にしても、憲法第25条で定める「生存権」をもとに法令で定めれば解決する話です。
「日本国憲法は押しつけられたものだ」と主張している人は、おそらく帝国主義社会を良しとする人(またはその考え方に洗脳された人)なのでしょう。
そして、自分達にはめられた足かせを取り外したいがために、「押しつけ」だの「一国平和主義」だの難癖を付けて日本国憲法の改悪を狙っているのだと僕は考えます。
大事なことなので2度言いますよw。
「平和主義」、「民主主義」、「基本的人権の尊重」を三本柱とする現在の日本国憲法を改悪することは断じて許さない!
これが僕の考え。
いまこそ、民主主義を求める人々、反戦・平和を願う人々が大同団結して行動を起こすべきときだと、僕は感じています!