イザヤ22章8~14節、詩篇23編、ヤコブ4章4~10節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 22:8 ユダの防備をはぎ取った。その日には、お前たちは 森の家の武器に目を向けた。
 22:9 また、ダビデの町に破れの多いのを見て 下の池の水を集めた。
 22:10 エルサレムの家を数え 家々を倒して、城壁の破れをふさごうとした。
 22:11 二つの城壁の間に水溜めを造り 古い池の水を入れた。しかし、お前たちは、都を造られた方に目を向けず 遠い昔に都を形づくられた方を 見ようとしなかった。
 22:12 その日には、万軍の主なる神が布告された。嘆くこと、泣くこと 髪をそり、粗布をまとうことを。
 22:13 しかし、見よ、彼らは喜び祝い 牛を殺し、羊を屠り 肉を食らい、酒を飲んで言った。「食らえ、飲め、明日は死ぬのだから」と。
 22:14 万軍の主はわたしの耳に告げられた。「お前たちが死ぬまで この罪は決して赦されることがない」と 万軍の主なる神が言われた。

詩篇 23:1  賛歌。ダビデの詩。 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
 23:2 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
 23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
 23:4 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
 23:5 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
 23:6 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

ヤコブ 4:4 神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。
 4:5 それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、
 4:6 もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」
 4:7 だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。
 4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。
 4:9 悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。
 4:10 主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。

 

 

年齢的なこともあるのかもしれないが、いろんなことを楽しめなくなった。

いろんなことと言うより、ほとんどのことと言った方が近いかもしれない。

生きていても面白くないとまではいかないものの、時々、自分は何のために生きているのだろう、これから何をしていけばいいのだろうと思う事もある。

もちろん、世の中には、楽しいことや面白いこともたくさんあるのだろう。

けれど、どれも、それなりにお金が必要だったり、一時は楽しめても、それが終わると、また虚しい気持ちに囚われる。

ヤコブの手紙には「罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。」と語られている。

世の中のことで楽しめなくても、それでいいのかもしれない。

天の御国がもっともっと素晴らしいところであるのなら。