創世記45章1~20節、詩篇103篇1~13節、マタイ6章7~15節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 45:1 ヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだ。だれもそばにいなくなってから、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした。
 45:2 ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった。
 45:3 ヨセフは、兄弟たちに言った。「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。
 45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もっと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。
 45:5 しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。
 45:6 この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。
 45:7 神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。
 45:8 わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。
 45:9 急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、わたしのところへおいでください。
 45:10 そして、ゴシェンの地域に住んでください。そうすればあなたも、息子も孫も、羊や牛の群れも、そのほかすべてのものも、わたしの近くで暮らすことができます。
 45:11 そこでのお世話は、わたしがお引き受けいたします。まだ五年間は飢饉が続くのですから、父上も家族も、そのほかすべてのものも、困ることのないようになさらなければいけません。』
 45:12 さあ、お兄さんたちも、弟のベニヤミンも、自分の目で見てください。ほかならぬわたしがあなたたちに言っているのです。
 45:13 エジプトでわたしが受けているすべての栄誉と、あなたたちが見たすべてのことを父上に話してください。そして、急いで父上をここへ連れて来てください。」
 45:14 ヨセフは、弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンもヨセフの首を抱いて泣いた。
 45:15 ヨセフは兄弟たち皆に口づけし、彼らを抱いて泣いた。その後、兄弟たちはヨセフと語り合った。
 45:16 ヨセフの兄弟たちがやって来たという知らせがファラオの宮廷に伝わると、ファラオも家来たちも喜んだ。
 45:17 ファラオはヨセフに言った。「兄弟たちに、こうするように言いなさい。『家畜に荷を積んでカナンの地に行き、
 45:18 父上と家族をここへ連れて来なさい。わたしは、エジプトの国の最良のものを与えよう。あなたたちはこの国の最上の産物を食べるがよい。』
 45:19 また、こうするよう命じなさい。『エジプトの国から、あなたたちの子供や妻たちを乗せる馬車を引いて行き、父上もそれに乗せて来るがよい。
 45:20 家財道具などには未練を残さないように。エジプトの国中で最良のものが、あなたたちのものになるのだから。』」

詩篇 103:1  ダビデの詩。 わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって 聖なる御名をたたえよ。
 103:2 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
 103:3 主はお前の罪をことごとく赦し 病をすべて癒し
 103:4 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け
 103:5 長らえる限り良いものに満ち足らせ 鷲のような若さを新たにしてくださる。
 103:6 主はすべて虐げられている人のために 恵みの御業と裁きを行われる。
 103:7 主は御自分の道をモーセに 御業をイスラエルの子らに示された。
 103:8 主は憐れみ深く、恵みに富み 忍耐強く、慈しみは大きい。
 103:9 永久に責めることはなく とこしえに怒り続けられることはない。
 103:10 主はわたしたちを 罪に応じてあしらわれることなく わたしたちの悪に従って報いられることもない。
 103:11 天が地を超えて高いように 慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。
 103:12 東が西から遠い程 わたしたちの背きの罪を遠ざけてくださる。
 103:13 父がその子を憐れむように 主は主を畏れる人を憐れんでくださる。

マタイ 6:7 また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
 6:8 彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
 6:9 だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。
 6:10 御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
 6:11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
 6:12 わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
 6:13 わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』
 6:14 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
 6:15 しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

 

 

マタイ6章には、イエス様が教えてくださった「主の祈り」が記されている。

主の祈りは「主の御心なら必ずそうなる」ということを教えるものである。

そのため、「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」との祈りも、同じ意図によって考える必要がある。

わたしたちの負い目が赦されることや、私たちが他者に対して赦せるようになることも、どこか私たちが他者を赦すことが条件のように思えるかもしれないが、これらの祈りは、いつかそれは必ず成就する、ということを教えているものである。

どんなに時間がかかってもいい。

あるいは、もうそんなこと忘れてしまったというのでも良いかもしれない。

互いに赦しあい、わだかまりのない関係へと進んでいくことができるなら、それが幸いである。

もちろん、自分だけ赦した気になっていて、相手が全然赦してくれていないというのでは、不十分であろうから、相手も忘れてしまうほどに赦してもらえるようになってはじめて幸いな関係となるのだろう。

いつかそうなってほしいし、必ず、そういう幸いな時が来る。

そう信じて、今日も祈り続けていきたい。