イザヤ63章15~19節、詩篇67篇、使徒14章19~28節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 63:15 どうか、天から見下ろし 輝かしく聖なる宮から御覧ください。どこにあるのですか あなたの熱情と力強い御業は。あなたのたぎる思いと憐れみは 抑えられていて、わたしに示されません。
 63:16 あなたはわたしたちの父です。アブラハムがわたしたちを見知らず イスラエルがわたしたちを認めなくても 主よ、あなたはわたしたちの父です。「わたしたちの贖い主」これは永遠の昔からあなたの御名です。
 63:17 なにゆえ主よ、あなたはわたしたちを あなたの道から迷い出させ わたしたちの心をかたくなにして あなたを畏れないようにされるのですか。立ち帰ってください、あなたの僕たちのために あなたの嗣業である部族のために。
 63:18 あなたの聖なる民が 継ぐべき土地を持ったのはわずかの間です。間もなく敵はあなたの聖所を踏みにじりました。
 63:19 あなたの統治を受けられなくなってから あなたの御名で呼ばれない者となってから わたしたちは久しい時を過ごしています。どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように。

詩篇 67:1  指揮者によって。伴奏付き。賛歌。歌。
 67:2 神がわたしたちを憐れみ、祝福し 御顔の輝きを わたしたちに向けてくださいますように
 67:3 あなたの道をこの地が知り 御救いをすべての民が知るために。
 67:4 神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
 67:5 諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように あなたがすべての民を公平に裁き この地において諸国の民を導かれることを。
 67:6 神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
 67:7 大地は作物を実らせました。神、わたしたちの神が わたしたちを祝福してくださいますように。
 67:8 神がわたしたちを祝福してくださいますように。地の果てに至るまで すべてのものが神を畏れ敬いますように。

使徒 14:19 ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。
 14:20 しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。
 14:21 二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、
 14:22 弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。
 14:23 また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。
 14:24 それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、
 14:25 ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、
 14:26 そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。
 14:27 到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。
 14:28 そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。

 

 

パウロは、町々をめぐって福音を宣教し、信じる人たちを励まし続けていった。

しかし、宣教して終わりではなく、かつて宣教した町の様子をうかがうために、それまで辿ってきたルートを引き返したりしながら、フォローアップもしっかり行っている様子がうかがえる。

というのも、人は一度信じてしまえば、それで自動的に信仰を保ち続けることができるほど強くはないし、継続的にフォローしたり、なかには、最初からもう一度教えなおすようなこともなされていたのかもしれない。

そんなときは、気持ちもくじけてしまいそうになったことであろうと思う。

それでもパウロはあきらめることなく、宣教の働きを続けていったのである。

もちろん、パウロ自身の信仰が強くてしっかりしていたから、というより、主なる神様がパウロを用いてそうさせた、ということなのだろう。

パウロも人間である。

迫害が続いたり、何度教えても、信仰から脱落していく人たちばかり見ていると、働き続ける意欲も失ってしまうこともあったに違いない。

そんな時、パウロはどう過ごしていたのだろう。

パウロでさえ、石で打たれて瀕死の状態になった時もあったが、弟子たちに囲まれて、おそらく祈ってもらったのだろう、再び立ち上がって働きを継続することができているのである。

同じ信仰を持つ仲間がいることは、幸いである。

ただでさえクリスチャン人口が少ないこの国において、クリスチャン同士がいがみ合っていたり、裁きあっていたりしていたのでは、何も進まないし、働きは途絶えてしまうだろう。

互いに励ましあい、祈りあい、支えあっていく姿勢を忘れないように心がけていきたいものである。