創世記19章1~29節、詩篇18篇2~20節、ローマ9章14~29節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 19:1 二人の御使いが夕方ソドムに着いたとき、ロトはソドムの門の所に座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して、
 19:2 言った。「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊まりください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください。」彼らは言った。「いや、結構です。わたしたちはこの広場で夜を過ごします。」
 19:3 しかし、ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし、彼の家を訪ねた。ロトは、酵母を入れないパンを焼いて食事を供し、彼らをもてなした。
 19:4 彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、
 19:5 わめきたてた。「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」
 19:6 ロトは、戸口の前にたむろしている男たちのところへ出て行き、後ろの戸を閉めて、
 19:7 言った。「どうか、皆さん、乱暴なことはしないでください。
 19:8 実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」
 19:9 男たちは口々に言った。「そこをどけ。」「こいつは、よそ者のくせに、指図などして。」「さあ、彼らより先に、お前を痛い目に遭わせてやる。」そして、ロトに詰め寄って体を押しつけ、戸を破ろうとした。
 19:10 二人の客はそのとき、手を伸ばして、ロトを家の中に引き入れて戸を閉め、
 19:11 戸口の前にいる男たちに、老若を問わず、目つぶしを食わせ、戸口を分からなくした。
 19:12 二人の客はロトに言った。「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。
 19:13 実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」
 19:14 ロトは嫁いだ娘たちの婿のところへ行き、「さあ早く、ここから逃げるのだ。主がこの町を滅ぼされるからだ」と促したが、婿たちは冗談だと思った。
 19:15 夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。「さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。」
 19:16 ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。
 19:17 彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」
 19:18 ロトは言った。「主よ、できません。
 19:19 あなたは僕に目を留め、慈しみを豊かに示し、命を救おうとしてくださいます。しかし、わたしは山まで逃げ延びることはできません。恐らく、災害に巻き込まれて、死んでしまうでしょう。
 19:20 御覧ください、あの町を。あそこなら近いので、逃げて行けると思います。あれは小さな町です。あそこへ逃げさせてください。あれはほんの小さな町です。どうか、そこでわたしの命を救ってください。」
 19:21 主は言われた。「よろしい。そのこともあなたの願いを聞き届け、あなたの言うその町は滅ぼさないことにしよう。
 19:22 急いで逃げなさい。あなたがあの町に着くまでは、わたしは何も行わないから。」そこで、その町はツォアル(小さい)と名付けられた。
 19:23 太陽が地上に昇ったとき、ロトはツォアルに着いた。
 19:24 主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、
 19:25 これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。
 19:26 ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。
 19:27 アブラハムは、その朝早く起きて、さきに主と対面した場所へ行き、
 19:28 ソドムとゴモラ、および低地一帯を見下ろすと、炉の煙のように地面から煙が立ち上っていた。
 19:29 こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。

詩篇 18:2 主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。
 18:3 主はわたしの岩、砦、逃れ場 わたしの神、大岩、避けどころ わたしの盾、救いの角、砦の塔。
 18:4 ほむべき方、主をわたしは呼び求め 敵から救われる。
 18:5 死の縄がからみつき 奈落の激流がわたしをおののかせ
 18:6 陰府の縄がめぐり 死の網が仕掛けられている。
 18:7 苦難の中から主を呼び求め わたしの神に向かって叫ぶと その声は神殿に響き 叫びは御前に至り、御耳に届く。
 18:8 主の怒りは燃え上がり、地は揺れ動く。山々の基は震え、揺らぐ。
 18:9 御怒りに煙は噴き上がり 御口の火は焼き尽くし、炎となって燃えさかる。
 18:10 主は天を傾けて降り 密雲を足もとに従え
 18:11 ケルブを駆って飛び 風の翼に乗って行かれる。
 18:12 周りに闇を置いて隠れがとし 暗い雨雲、立ちこめる霧を幕屋とされる。
 18:13 御前にひらめく光に雲は従い 雹と火の雨が続く。
 18:14 主は天から雷鳴をとどろかせ いと高き神は御声をあげられ 雹と火の雨が続く。
 18:15 主の矢は飛び交い 稲妻は散乱する。
 18:16 主よ、あなたの叱咤に海の底は姿を現し あなたの怒りの息に世界はその基を示す。
 18:17 主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ 大水の中から引き上げてくださる。
 18:18 敵は力があり わたしを憎む者は勝ち誇っているが なお、主はわたしを救い出される。
 18:19 彼らが攻め寄せる災いの日 主はわたしの支えとなり
 18:20 わたしを広い所に導き出し、助けとなり 喜び迎えてくださる。

ローマ 9:14 では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。
 9:15 神はモーセに、「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。
 9:16 従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。
 9:17 聖書にはファラオについて、「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と書いてあります。
 9:18 このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。
 9:19 ところで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのだろうか。だれが神の御心に逆らうことができようか」と。
 9:20 人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか。
 9:21 焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。
 9:22 神はその怒りを示し、その力を知らせようとしておられたが、怒りの器として滅びることになっていた者たちを寛大な心で耐え忍ばれたとすれば、
 9:23 それも、憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられた者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるためであったとすれば、どうでしょう。
 9:24 神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。
 9:25 ホセアの書にも、次のように述べられています。「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。
 9:26 『あなたたちは、わたしの民ではない』と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」
 9:27 また、イザヤはイスラエルについて、叫んでいます。「たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、残りの者が救われる。
 9:28 主は地上において完全に、しかも速やかに、言われたことを行われる。」
 9:29 それはまた、イザヤがあらかじめこう告げていたとおりです。「万軍の主がわたしたちに子孫を残されなかったら、わたしたちはソドムのようになり、ゴモラのようにされたであろう。」

 

 

 

聖書に記されているソドムとゴモラが滅ぼされる記事を読むと、主なる神様は、なんと恐ろしい方だろうかと思うこともある。

しかし、本当に恐ろしいのは、そのような裁きを招くことになったソドムとゴモラの町に住んでいた人たちであろう。

詳しいことは書かれていないが、ソドムとゴモラの町に住む者たちの生活ぶりは、想像を絶するほどに酷いものであったであろうし、彼らが滅ぼされたことは、神が恐ろしい方であるために行われたというより、滅ぼされても当然のような恐ろしい罪を犯していた人たち自ら招いた結果であると考えた方がいいだろう。

しかし、もっと大切なことは、ソドムとゴモラの人たちのことを他人事として見て「ああ、彼らは酷い人たちだから、滅ぼされて当然だ」などと思い、我々もさばく側に立ってこの出来事を読んでいてはいけない、ということであろう。

私たちもまた、ソドムでありゴモラなのだということを忘れてはならない。

私たちは、ついつい他人のことを「あの人は罪を犯している」とか「あの人は滅ぼされるに違いない」などと考え、自分自身は滅ぼされる対象から外れていると思っているかもしれないが、神の御前にすべての人は罪びとである。

私こそ、ソドムでありゴモラであったことを覚え、しかしながら、主なる神様は、これをなんとしても救いたいと願われ、御子イエス様をお送りくださり、私の身代わりとなって裁きをお受けくださったのである。

そのことを忘れないでいたい。