申命記8章1~10節、詩篇78篇1~8,17~29節、ローマ1章8~15節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記  8:1 今日、わたしが命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができる。
 8:2 あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。
 8:3 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。
 8:4 この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。
 8:5 あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。
 8:6 あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。
 8:7 あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、
 8:8 小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。
 8:9 不自由なくパンを食べることができ、何一つ欠けることのない土地であり、石は鉄を含み、山からは銅が採れる土地である。
 8:10 あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。

詩篇 78:1  マスキール。アサフの詩。 わたしの民よ、わたしの教えを聞き わたしの口の言葉に耳を傾けよ。
 78:2 わたしは口を開いて箴言を いにしえからの言い伝えを告げよう
 78:3 わたしたちが聞いて悟ったこと 先祖がわたしたちに語り伝えたことを。
 78:4 子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう 主への賛美、主の御力を 主が成し遂げられた驚くべき御業を。
 78:5 主はヤコブの中に定めを与え イスラエルの中に教えを置き それを子孫に示すように わたしたちの先祖に命じられた。
 78:6 子らが生まれ、後の世代が興るとき 彼らもそれを知り その子らに語り継がなければならない。
 78:7 子らが神に信頼をおき 神の御業を決して忘れず その戒めを守るために
 78:8 先祖のように 頑な反抗の世代とならないように 心が確かに定まらない世代 神に不忠実な霊の世代とならないように。

 78:17 彼らは重ねて罪を犯し 砂漠でいと高き方に反抗した。
 78:18 心のうちに神を試み 欲望のままに食べ物を得ようとし
 78:19 神に対してつぶやいて言った。「荒れ野で食卓を整えることが 神にできるのだろうか。
 78:20 神が岩を打てば水がほとばしり出て 川となり、溢れ流れるが 民にパンを与えることができるだろうか 肉を用意することができるだろうか。」
 78:21 主はこれを聞いて憤られた。火はヤコブの中に燃え上がり 怒りはイスラエルの中に燃えさかった。
 78:22 彼らは神を信じようとせず 御救いに依り頼まなかった。
 78:23 それでもなお、神は上から雲に命じ 天の扉を開き
 78:24 彼らの上にマナを降らせ、食べさせてくださった。神は天からの穀物をお与えになり
 78:25 人は力ある方のパンを食べた。神は食べ飽きるほどの糧を送られた。
 78:26 神は東風を天から送り 御力をもって南風を起こし
 78:27 彼らの上に肉を塵のように降らせ 翼ある鳥を海辺の砂のように降らせ
 78:28 彼らの陣営の中に 宿る所の周りに落としてくださった。
 78:29 彼らは食べて飽き足りた。神は彼らの欲望を満たしてくださった。

ローマ 1:8 まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
 1:9 わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、
 1:10 何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。
 1:11 あなたがたにぜひ会いたいのは、"霊"の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。
 1:12 あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。
 1:13 兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。
 1:14 わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。
 1:15 それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。

 

 

聖書には、主なる神様がイスラエルの民を選び、彼らに神のみ言葉が託され、やがて、異邦人にも宣べ伝えられていったことが記されている。

しかしそれは、あくまで神の救いの約束が全世界の人々に宣べ伝えられるために神様が用いられた方法に過ぎず、イスラエルの民が何か優れた能力を持っていたり、特別に祝福された人たちであったから、というわけではない。

ただ、宣教の業を進めていくために用いた、ということである。

それは役割でもあり、身体には多くの器官があるけれども、一つの身体の一部であるといったみ言葉と同様、どの器官が優れていて、他の器官に優越しているというわけでもない。

そういう意味では、聖書におけるイスラエルと異邦人の関係は、救いの約束の言葉を聞いて先に信じた人と、その人たちによって福音が宣べ伝えられ、これから信じる人といった関係に当てはまるだろう。

というのも、イスラエルの民も異邦人も、先に救われた人も、これから救いに与る人も、みな同じ人間だからである。

たまたま先に召されただけで、そのことをことさらに誇るのも傲慢であろう。

あとから救われる人も、何ら変わりはないからである。

ただ、救われた人は、その喜びを次の人に宣べ伝えていけば良い。

喜びと平安のうちに生きる人が増えていくのなら、これほど幸い召しはないし、喜ばしい務めであろう。

神様は、そのような幸いな人生に私たちを召し、生かそうとしてくださる。

喜ばしいことである。