列王記上2章1~4節、詩篇119篇129~136節、マタイ12章38~42節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記上 2:1 死期が近づいたとき、ダビデはこう言って王子ソロモンを戒めた。
 2:2 「わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている。あなたは勇ましく雄々しくあれ。
 2:3 あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めと法と定めを守れ。そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても、良い成果を上げることができる。
 2:4 また主は、わたしについて告げてくださったこと、『あなたの子孫が自分の歩む道に留意し、まことをもって、心を尽くし、魂を尽くしてわたしの道を歩むなら、イスラエルの王座につく者が断たれることはない』という約束を守ってくださるであろう。

詩篇 119:129 あなたの定めは驚くべきものです。わたしの魂はそれを守ります。
 119:130 御言葉が開かれると光が射し出で 無知な者にも理解を与えます。
 119:131 わたしは口を大きく開き、渇望しています。あなたの戒めを慕い求めます。
 119:132 御顔をわたしに向け、憐れんでください 御名を愛する者への裁きに従って。
 119:133 仰せのとおり わたしの足どりを確かなものにしてください。どのような悪もわたしを支配しませんように。
 119:134 虐げる者からわたしを解き放ってください。わたしはあなたの命令を守ります。
 119:135 御顔の光をあなたの僕の上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください。
 119:136 わたしの目は川のように涙を流しています。人々があなたの律法を守らないからです。

マタイ 12:38 すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。
 12:39 イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
 12:40 つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。
 12:41 ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。
 12:42 また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」

 

 

ヨナのしるしとは、預言者ヨナが大魚に飲み込まれ、死んだも同然であったのが、三日後に吐き出され、再び生きるものとされたことにちなみ、イエス様もまた、十字架にかけられて殺されたけれども、三日目に死からよみがえり、ほろびることのない永遠の命を示されたことにあると言えよう。

しかし、そのことは、その結果としてもたらされたニネベの人たちの救いも含めて、ヨナによってあらわされたしるしと言えるのではないだろうか。

つまり、イエス様の十字架の死と復活の御業は、単にイエス様の死と復活にとどまらず、イエス様を信じるすべてのものに対し、死をうちやぶり、永遠の命によみがえらせてくださる素晴らしい救いの約束をもたらすものであり、そこまでふくめて「しるし」と言えるのではないだろうか。

本来、救われることもなく、滅びるしかなかったようなものが、神の恵みの御業によって、永遠の命にあずかるものとされたのである。

死んでいたはずのものが生きるようになった。

これこそが、これ以上ない奇跡であり、しるしなのだろう。

神の恵みによって救われたものとして、神の救いの御業を表す証人として、一人のしるしとして生きていきたいものである。