エレミヤ 28:10 すると預言者ハナンヤは、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた。
28:11 そして、ハナンヤは民すべての前で言った。「主はこう言われる。わたしはこのように、二年のうちに、あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く。」そこで、預言者エレミヤは立ち去った。
28:12 預言者ハナンヤが、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた後に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
28:13 「行って、ハナンヤに言え。主はこう言われる。お前は木の軛を打ち砕いたが、その代わりに、鉄の軛を作った。
28:14 イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、これらの国すべての首に鉄の軛をはめて、バビロンの王ネブカドネツァルに仕えさせる。彼らはその奴隷となる。わたしは野の獣まで彼に与えた。」
28:15 更に、預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ。
28:16 それゆえ、主はこう言われる。『わたしはお前を地の面から追い払う』と。お前は今年のうちに死ぬ。主に逆らって語ったからだ。」
28:17 預言者ハナンヤは、その年の七月に死んだ。
詩編 131:1 都に上る歌。ダビデの詩。 主よ、わたしの心は驕っていません。わたしの目は高くを見ていません。大き過ぎることを わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。
131:2 わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように 母の胸にいる幼子のようにします。
131:3 イスラエルよ、主を待ち望め。今も、そしてとこしえに。
ローマ 3:1 では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。
3:2 それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず、彼らは神の言葉をゆだねられたのです。
3:3 それはいったいどういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。
3:4 決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。
3:5 しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。
3:6 決してそうではない。もしそうだとしたら、どうして神は世をお裁きになることができましょう。
3:7 またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。
3:8 それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」とも言えるのではないでしょうか。わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、こういう者たちが罰を受けるのは当然です。
主なる神様は、イスラエルの民を用いられ、彼らの歴史を通して、神様がご計画されていた救いの御業について語られているといえるだろう。
それは、旧約聖書という神のみ言葉に表されている。
そして、その旧約聖書に語られている神の救いのご計画は、主イエス様の出現によって、はっきりと現わされた、完成された。
私たちはそのことを信じる者として召され、キリストの証人として、罪赦された者として生きる見本のような存在となっている。
イスラエルもそうであろう。
神に選ばれ、用いられた民として、神が実際に生きて働いておられ、救いの御業をあらわされたことを後世の人たちに宣べ伝える目的のために存在しているのであろう。
ある意味、彼らの存在する目的は達成されているといえるのかもしれないが、今もなお、旧約聖書で語られていることが真実であるということを証しするために存在しているとも言えるのだろう。
主イエス様を信じ、救いの約束に与った私たちもまた、そのことの証明するためにこの世に生き、存在しているのだろう。
願わくは、私の人生が、主イエス様の救いの御業のすばらしさを証しするものであるように。
救われた喜びと平安のうちに生かされていきたいものである。