出エジプト記20章1~21節、詩篇33篇12~22節、マタイ5章1~12節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト記 20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
 20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
 20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
 20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
 20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
 20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
 20:7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
 20:8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
 20:9 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
 20:10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
 20:11 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
 20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
 20:13 殺してはならない。
 20:14 姦淫してはならない。
 20:15 盗んではならない。
 20:16 隣人に関して偽証してはならない。
 20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」
 20:18 民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。民は見て恐れ、遠く離れて立ち、
 20:19 モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」
 20:20 モーセは民に答えた。「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」
 20:21 民は遠く離れて立ち、モーセだけが神のおられる密雲に近づいて行った。

詩篇 33:12 いかに幸いなことか 主を神とする国 主が嗣業として選ばれた民は。
 33:13 主は天から見渡し 人の子らをひとりひとり御覧になり
 33:14 御座を置かれた所から 地に住むすべての人に目を留められる。
 33:15 人の心をすべて造られた主は 彼らの業をことごとく見分けられる。
 33:16 王の勝利は兵の数によらず 勇士を救うのも力の強さではない。
 33:17 馬は勝利をもたらすものとはならず 兵の数によって救われるのでもない。
 33:18 見よ、主は御目を注がれる 主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。
 33:19 彼らの魂を死から救い 飢えから救い、命を得させてくださる。
 33:20 我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。
 33:21 我らの心は喜び 聖なる御名に依り頼む。
 33:22 主よ、あなたの慈しみが 我らの上にあるように 主を待ち望む我らの上に。

マタイ 5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
 5:2 そこで、イエスは口を開き、教えられた。
 5:3 「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
 5:4 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
 5:5 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
 5:6 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
 5:7 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
 5:8 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
 5:9 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
 5:10 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
 5:11 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
 5:12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

 

 

 

出エジプト記20章の箇所には、いわゆる十戒として知られる戒めの言葉が記されている。

これらの戒めは、律法とも呼ばれ、律法を通して私たちは神様が望んでおられることを知り、一方で、それらの律法を果たせていないことを知り、己の罪を悔い改めるきっかけを与えてくれる。

しかし、興味深いのは、この十戒が語られた時、戒めの言葉が語られる前に、冒頭の箇所で主なる神様がイスラエルの民を救い出したことが語られているのである。

 

出エジプト記 20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
 20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
 20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

 

つまり、まずはじめに神様が救ってくれたから、続いて語られる律法の言葉も守るべきであるという流れになっているのである。

律法によって罪が示され、その罪を悔い改めた者に、主なる神様がご自分の御子イエス様の命の代価を支払ってくださり、信じるだけで罪が赦され、救われるであろうという福音の言葉が語られるといった具合に、単純に律法が語られた後に福音の言葉が語られると捉えていると、大切なことを見誤ってしまうのかもしれない。

神様は人間を創られたが、失敗したので、償いとしてイエス様を送られたわけではない。

最初から律法の言葉と福音の言葉とを同時に語られていて、どちらも真実で永遠に変わらない言葉として私たちに向けて語られているのであろう。

父なる創造の神も、贖い主イエス様も、そして教会を建て上げている聖霊様も、永遠の昔から存在し、永遠に変わらない真実

と愛の言葉とをもって私たちに語りかけておられる。

そのような思いで、素直に神の律法の言葉に耳を傾けてみよう。

そして、同時に語られる福音の言葉にも耳を傾けてみよう。

そうすれば、きっとイエス様の素晴らしい十字架のお姿が示されて来るだろうから。