創世記6章5~22節、詩篇66篇8~20節、使徒27章1~12節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 6:5 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、
 6:6 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
 6:7 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」
 6:8 しかし、ノアは主の好意を得た。
 6:9 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。
 6:10 ノアには三人の息子、セム、ハム、ヤフェトが生まれた。
 6:11 この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。
 6:12 神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。
 6:13 神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。
 6:14 あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。
 6:15 次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、
 6:16 箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。
 6:17 見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。
 6:18 わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。
 6:19 また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。
 6:20 それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへ来て、生き延びるようにしなさい。
 6:21 更に、食べられる物はすべてあなたのところに集め、あなたと彼らの食糧としなさい。」
 6:22 ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。

詩篇 66:8 諸国の民よ、我らの神を祝し 賛美の歌声を響かせよ。
 66:9 神は我らの魂に命を得させてくださる。我らの足がよろめくのを許されない。
 66:10 神よ、あなたは我らを試みられた。銀を火で練るように我らを試された。
 66:11 あなたは我らを網に追い込み 我らの腰に枷をはめ
 66:12 人が我らを駆り立てることを許された。我らは火の中、水の中を通ったが あなたは我らを導き出して 豊かな所に置かれた。
 66:13 わたしは献げ物を携えて神殿に入り 満願の献げ物をささげます。
 66:14 わたしが苦難の中で唇を開き この口をもって誓ったように
 66:15 肥えた獣をささげ、香りと共に雄羊を 雄山羊と共に雄牛を焼き尽くしてささげます。
 66:16 神を畏れる人は皆、聞くがよい わたしに成し遂げてくださったことを物語ろう。
 66:17 神に向かってわたしの口は声をあげ わたしは舌をもってあがめます。
 66:18 わたしが心に悪事を見ているなら 主は聞いてくださらないでしょう。
 66:19 しかし、神はわたしの祈る声に耳を傾け 聞き入れてくださいました。
 66:20 神をたたえよ。神はわたしの祈りを退けることなく 慈しみを拒まれませんでした。

使徒 27:1 わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。
 27:2 わたしたちは、アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、アドラミティオン港の船に乗って出港した。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコも一緒であった。
 27:3 翌日シドンに着いたが、ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。
 27:4 そこから船出したが、向かい風のためキプロス島の陰を航行し、
 27:5 キリキア州とパンフィリア州の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いた。
 27:6 ここで百人隊長は、イタリアに行くアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそれに乗り込ませた。
 27:7 幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、
 27:8 ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる所に着いた。
 27:9 かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。それで、パウロは人々に忠告した。
 27:10 「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」
 27:11 しかし、百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した。
 27:12 この港は冬を越すのに適していなかった。それで、大多数の者の意見により、ここから船出し、できるならばクレタ島で南西と北西に面しているフェニクス港に行き、そこで冬を過ごすことになった。

 

 

 

創世記に記されているノアの箱舟の出来事は、とても劇的な出来事であり、ともすると、神様が悪に満ちたこの世界に生きる多くの人々を洪水によって滅ぼされた、ということに注目しがちであろう。

しかし、その本意がどこにあるのかということを見逃してはならないのではないだろうか。

神様は、地上に悪が増大し、人々が自ら滅びの道を突き進んでいくことを悲しまれたのである。

できることなら、人々が悔改め、正しい道を歩み、滅びることなく過ごすようになることを願われていたに違いない。

そうでなければ、神様がこの出来事を通して、二度と同じようなことは繰り返しまいと思われ、その代わりに、御子イエス様の命を人々の罪の贖いのために十字架で捧げられたのであろう。

神様の本意は、人々に滅んでほしくない、まことの命にあずかるものとなって欲しい、というところにある。

イエス様はそのために十字架で私たちの罪のために身代わりに死んで下さった。

あとは、我々人間がこのことをどう受け止め、神の心に沿った生き方を選んでいくかどうか、それだけである。

神は悪人を滅ぼしたい、のではなく、人間が自ら滅びに至る道を選ぼうとするなら、そうなる、というだけであろう。

神は人を救いたいし、十字架のイエス様の御生涯によって、そのことが明確に現わされていることを覚えたいものである。