出エジプト記13章17~22節、詩篇102篇2~18節、使徒7章17~40節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト記 13:17 さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。
 13:18 神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。
 13:19 モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。
 13:20 一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。
 13:21 主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。
 13:22 昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。

詩篇 102:2 主よ、わたしの祈りを聞いてください。この叫びがあなたに届きますように。
 102:3 苦難がわたしを襲う日に 御顔を隠すことなく、御耳を向け あなたを呼ぶとき、急いで答えてください。
 102:4 わたしの生涯は煙となって消え去る。骨は炉のように焼ける。
 102:5 打ちひしがれた心は、草のように乾く。わたしはパンを食べることすら忘れた。
 102:6 わたしは呻き 骨は肉にすがりつき
 102:7 荒れ野のみみずく 廃虚のふくろうのようになった。
 102:8 屋根の上にひとりいる鳥のように わたしは目覚めている。
 102:9 敵は絶えることなくわたしを辱め 嘲る者はわたしによって誓う。
 102:10 わたしはパンに代えて灰を食べ 飲み物には涙を混ぜた。
 102:11 あなたは怒り、憤り わたしを持ち上げて投げ出された。
 102:12 わたしの生涯は移ろう影 草のように枯れて行く。
 102:13 主よ あなたはとこしえの王座についておられます。御名は代々にわたって唱えられます。
 102:14 どうか、立ち上がって シオンを憐れんでください。恵みのとき、定められたときが来ました。
 102:15 あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み 塵をすら、どれほど慕うことでしょう。
 102:16 国々は主の御名を恐れ 地上の王は皆、その栄光におののくでしょう。
 102:17 主はまことにシオンを再建し 栄光のうちに顕現されます。
 102:18 主はすべてを喪失した者の祈りを顧み その祈りを侮られませんでした。

使徒 7:17 神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプト中に広がりました。
 7:18 それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。
 7:19 この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。
 7:20 このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、
 7:21 その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。
 7:22 そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。
 7:23 四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。
 7:24 それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。
 7:25 モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。
 7:26 次の日、モーセはイスラエル人が互いに争っているところに来合わせたので、仲直りをさせようとして言いました。『君たち、兄弟どうしではないか。なぜ、傷つけ合うのだ。』
 7:27 すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。
 7:28 きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか。』
 7:29 モーセはこの言葉を聞いて、逃げ出し、そして、ミディアン地方に身を寄せている間に、二人の男の子をもうけました。
 7:30 四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。
 7:31 モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。
 7:32 『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。
 7:33 そのとき、主はこう仰せになりました。『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。
 7:34 わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。』
 7:35 人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。
 7:36 この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。
 7:37 このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』
 7:38 この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。
 7:39 けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトをなつかしく思い、
 7:40 アロンに言いました。『わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。』

 

 

 

イスラエルの民が神の導きによってエジプトの国を出た時、約束の地カナンへ入植するのに近道であったペリシテの地を通ることはせず、四十年もの生活を強いられる荒野を通る道へと導かれたことが出エジプト記の箇所に書かれている。

ペリシテの地を通れば、あっという間に到達するにも関わらず、そこを避けた理由は、そこに住むペリシテ人たちとの戦いを避けて通ることができなくなるためであったと語らている。

つまり、無用な争いを避け、可能な限り平和を保つことを優先させたということであろう。

もちろん、荒野での四十年の生活は、過酷なものであっただろう。

けれど、短絡的な考えによって人と人とが争いあい、殺し合うような愚かな戦争をするよりはマシであるということではないだろうか。

このことは、とても興味深いことで、今もなおイスラエルの民族がガザ地区にこだわり続けることで、無駄に戦争を長引かせている現状などを思う時、神様がイスラエルに何を望まれていたのかということを今一度考え直していく必要があるように思う。

自分たちの偏った考え方にこだわり続け、無駄に人が殺し合う戦争を続けるこの世界において、たとえ困難であろうとも、人々が安心して平和に暮らしていける道があるのなら、たとえ遠回りしてでもそちらを選んでいく価値はあるだろう。

荒野での生活は、困難な生活であったことには違いないのであろうが、平和で幸いな時を過ごすことができたのではないかと思う時、自分の願う通りになることばかり追い求めず、神様の導かれるところへと進んでいけるように祈りつつ従って歩んで行きたいものである。