サムエル記上 16:11 サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」
16:12 エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」
16:13 サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。
詩篇 31:10 主よ、憐れんでください わたしは苦しんでいます。目も、魂も、はらわたも 苦悩のゆえに衰えていきます。
31:11 命は嘆きのうちに 年月は呻きのうちに尽きていきます。罪のゆえに力はうせ 骨は衰えていきます。
31:12 わたしの敵は皆、わたしを嘲り 隣人も、激しく嘲ります。親しい人々はわたしを見て恐れを抱き 外で会えば避けて通ります。
31:13 人の心はわたしを死者のように葬り去り 壊れた器と見なします。
31:14 ひそかな声が周囲に聞こえ 脅かすものが取り囲んでいます。人々がわたしに対して陰謀をめぐらし 命を奪おうとたくらんでいます。
31:15 主よ、わたしはなお、あなたに信頼し 「あなたこそわたしの神」と申します。
31:16 わたしにふさわしいときに、御手をもって 追い迫る者、敵の手から助け出してください。
31:17 あなたの僕に御顔の光を注ぎ 慈しみ深く、わたしをお救いください。
フィリピ 1:1 キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。
1:2 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
1:3 わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、
1:4 あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。
1:5 それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。
1:6 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。
1:7 わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。
1:8 わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。
1:9 わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、
1:10 本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、
1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。
私たちが信仰を持つようになったのは、自分一人で求めて真理を探究し、努力を重ねた結果ではない。
おそらく、ほとんどの人が先に救われた人から声をかけられ、温かい愛と配慮を受け、信仰に導かれてきたのではないだろうか。
もちろん、教会に誘ってくれた人の行為もありがたいことであるけれど、その背後には、主なる神様の愛と恵みがあると言う事を忘れてはならないだろう。
なぜなら、私たちを誘ってくれた人たちもまた、神の愛と恵みによって動かされ、一人でも多くの人に救われて欲しいとの神の御心に従ったまでだからである。
そういう意味では、我々は神に選ばれたのであり、神の愛と恵みを受け、福音に「あずかる」ものとされたということを覚えたい。
そして、そのために、神ご自身が御子イエス様の命をも惜しまずに十字架に捧げられたことも覚えたい。
神は、恵みを持って私たちに臨まれ、全てにまさって先んじて下さるお方。
主なる神様のご計画されている幸いな人生の歩むべき道を進んでいくとができるようにと願うものである。