エゼキエル36章8~15節、詩篇130篇、ルカ24章44~53節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル 36:8 しかし、お前たちイスラエルの山々よ、お前たちは枝を出し、わが民イスラエルのために実を結ぶ。彼らが戻って来るのは間近である。
 36:9 わたしはお前たちのために、お前たちのもとへと向かう。お前たちは耕され、種を蒔かれる。
 36:10 わたしはお前たちの上に、イスラエル全家の人口をことごとく増やす。町々には人が住むようになり、廃虚は建て直される。
 36:11 わたしはお前たちの上に人と家畜を増やす。彼らは子を産んで増える。わたしはお前たちを昔のように人の住むところとし、初めのときよりも更に栄えさせる。そのとき、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。
 36:12 わたしはお前たちの上に人々を、すなわちわが民イスラエルを歩ませる。彼らがお前を所有し、お前は彼らの嗣業となる。二度と彼らの子たちを失わせることはない。
 36:13 主なる神はこう言われる。人々はお前たちについて、『お前は人間を食らう地、自分の民の子を失わせる地だ』と言っている。
 36:14 それゆえ、お前は二度と人間を食らうことはなく、二度と自分の民の子を失わせることはない、と主なる神は言われる。
 36:15 わたしは二度と国々の辱めの声をお前に聞こえさせず、諸国の民の侮りを二度と受けさせない。お前も自分の民を二度とつまずかせることはない」と主なる神は言われる。

詩篇 130:1  都に上る歌。 深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
 130:2 主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
 130:3 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら 主よ、誰が耐ええましょう。
 130:4 しかし、赦しはあなたのもとにあり 人はあなたを畏れ敬うのです。
 130:5 わたしは主に望みをおき わたしの魂は望みをおき 御言葉を待ち望みます。
 130:6 わたしの魂は主を待ち望みます 見張りが朝を待つにもまして 見張りが朝を待つにもまして。
 130:7 イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに 豊かな贖いも主のもとに。
 130:8 主は、イスラエルを すべての罪から贖ってくださる。

ルカ
 24:44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」
 24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、
 24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
 24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、
 24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。
 24:49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
 24:50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。
 24:51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。
 24:52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、
 24:53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

 

 

聖書には多くの苦難を強いられたイスラエルの民が、神の豊かな恵みの御業によって導かれていったことが記されており、それらがイスラエルの回復の預言のメッセージとして受け止められている。

しかし、それは、単なる回復を告げるものではなく、救いを告げるものであるということが聖書全体をみていくと見えてくるだろう。

旧約聖書で預言されていた事柄を、ただ単に地上の王国が回復することとして受け止めていれば、地境の奪い合いであったり、それに伴う様々な富の奪い合いなどしか起こり得ない。

そこでは常に争いが絶えず、殺し合いも避けて通ることはできなくなってしまうだろう。

そんな地上の王国のいったいどこに真の平安があるというのだろう。

イエス様は、全ての憎み争いなどを断ち切るために、自らの命を犠牲として捧げられ、全ての敵意を滅ぼそうとされた。

このような神のなさった救いの御業に心を留めていきたい。

全ての人に神のまことの平和、シャロームがありますように。