イザヤ42章14~21節、詩篇146篇、コロサイ1章9~14節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 42:14 わたしは決して声を立てず 黙して、自分を抑えてきた。今、わたしは子を産む女のようにあえぎ 激しく息を吸い、また息を吐く。
 42:15 わたしは山も丘も廃虚とし、草をすべて枯らす。大河を島に変え、湖を干す。
 42:16 目の見えない人を導いて知らない道を行かせ 通ったことのない道を歩かせる。行く手の闇を光に変え 曲がった道をまっすぐにする。わたしはこれらのことを成就させ 見捨てることはない。
 42:17 偶像に依り頼む者 鋳た像に向かって あなたたちがわたしたちの神、と言う者は 甚だしく恥を受けて退く。
 42:18 耳の聞こえない人よ、聞け。目の見えない人よ、よく見よ。
 42:19 わたしの僕ほど目の見えない者があろうか。わたしが遣わす者ほど 耳の聞こえない者があろうか。わたしが信任を与えた者ほど 目の見えない者 主の僕ほど目の見えない者があろうか。
 42:20 多くのことが目に映っても何も見えず 耳が開いているのに、何も聞こえない。
 42:21 主は御自分の正しさゆえに 教えを偉大なものとし、輝かすことを喜ばれる。

詩篇 146:1 ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。
 146:2 命のある限り、わたしは主を賛美し 長らえる限り わたしの神にほめ歌をうたおう。
 146:3 君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
 146:4 霊が人間を去れば 人間は自分の属する土に帰り その日、彼の思いも滅びる。
 146:5 いかに幸いなことか ヤコブの神を助けと頼み 主なるその神を待ち望む人
 146:6 天地を造り 海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを守られる主は
 146:7 虐げられている人のために裁きをし 飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち
 146:8 主は見えない人の目を開き 主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し
 146:9 主は寄留の民を守り みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。
 146:10 主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ。

コロサイ 1:9 こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、"霊"によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、
 1:10 すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。
 1:11 そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、
 1:12 光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。
 1:13 御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。
 1:14 わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

 

 

私たち人間は、誰もが何らかの指針のようなものを持ち、それに従って生きている。

価値基準であったり、考え方、行動の仕方など、それぞれの人生において経験してきたことで培われてきていると言えるだろう。

しかし、それら全てが社会において普遍的なものであるとは限らないことも多く、時に人は他者と衝突もする。

大概の場合、自分と意見があわなければ「あの人はおかしい」と言って批判したり凶弾したりもする。

天地創造以来、人は取って食べてはならないと言われていた善悪の知識の木から取って食べ、何が善で何が悪かということを考えるようになった。

しかし、それは、自分にとって何が善であり何が悪であるかということを考えるようになった、ということであろう。

善悪の判断基準は、あくまで人自身の考えに基づくものであり、それゆえ、誰もが自己中心的な考えに支配されてしまうのである。

そこから離れ、本当に正しい生き方を探っていくためには、真実なお方であられる神に聞くしかない。

神に聞くとは、神のみ言葉に聞き従っていくことに他ならない。

だから聖書のみ言葉に耳を傾け、神の望まれる本当の善なる生き方を求めていくことが大切である。

真実な生き方を選んでいけるよう、聖書の御言葉に忠実に聞いていく者でありたい。