出エジプト記16章9^21節、詩篇95篇、エフェソ2章11~22節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト記 16:9 モーセがアロンに、「あなたはイスラエルの人々の共同体全体に向かって、主があなたたちの不平を聞かれたから、主の前に集まれと命じなさい」と言うと、
 16:10 アロンはイスラエルの人々の共同体全体にそのことを命じた。彼らが荒れ野の方を見ると、見よ、主の栄光が雲の中に現れた。
 16:11 主はモーセに仰せになった。
 16:12 「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」
 16:13 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。
 16:14 この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。
 16:15 イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。
 16:16 主が命じられたことは次のことである。『あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。』」
 16:17 イスラエルの人々はそのとおりにした。ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。
 16:18 しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。
 16:19 モーセは彼らに、「だれもそれを、翌朝まで残しておいてはならない」と言ったが、
 16:20 彼らはモーセに聞き従わず、何人かはその一部を翌朝まで残しておいた。虫が付いて臭くなったので、モーセは彼らに向かって怒った。
 16:21 そこで、彼らは朝ごとにそれぞれ必要な分を集めた。日が高くなると、それは溶けてしまった。

詩篇 95:1 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
 95:2 御前に進み、感謝をささげ 楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
 95:3 主は大いなる神 すべての神を超えて大いなる王。
 95:4 深い地の底も御手の内にあり 山々の頂も主のもの。
 95:5 海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。
 95:6 わたしたちを造られた方 主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。
 95:7 主はわたしたちの神、わたしたちは主の民 主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。
 95:8 「あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように 心を頑にしてはならない。
 95:9 あのとき、あなたたちの先祖はわたしを試みた。わたしの業を見ながら、なおわたしを試した。
 95:10 四十年の間、わたしはその世代をいとい 心の迷う民と呼んだ。彼らはわたしの道を知ろうとしなかった。
 95:11 わたしは怒り 彼らをわたしの憩いの地に入れないと誓った。」

エフェソ 2:11 だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。
 2:12 また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。
 2:13 しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。
 2:14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
 2:15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
 2:16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
 2:17 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。
 2:18 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。
 2:19 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、
 2:20 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、
 2:21 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。
 2:22 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

 

 

人は誰でも肉の欲があり、それゆえ、少しでも自分に利があるように行動し、ついには敵をも作ってしまう。

自分に攻撃してくるものだけが敵ではなく、自分と価値観や考え方が違うだけでも、敵意をもち、争いを始める。

人間とは、なんとも哀れな存在である。

たとえそれが神のように、私たちと祝福しようとされる方に対しても敵対しているのだ。

それはまるで、自分とは相いれないほどの偉大な愛の心を神が持っていることに嫉妬しているかのようである。

本当は愛されたいし、恵まれたいと願ているはずなのに、人はいかにもあまのじゃくで、素直に応じられない。

それゆえ、主なる神様の方から、まるで敗北を認めるかのように、御自分の命を捨ててまで、人間の敵意を真正面から引き受けて下さり、敵対する関係を終わらせて下さった、それがイエス様の十字架の出来事であろう。

相手に対して譲るどころか、真の祝福を与えようとして、神ご自身の方から恵みを与えようとしてくださっている。

このことを知った時、なんと自分が哀れで惨めな存在であろうかと思わされるが、同時に、なんと幸いで恵まれた存在であろうかということを思わされる。

感謝なことである。