出エジプト記34章1~9,27~28節、詩篇32篇、マタイ18章10~14節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト記 34:1 主はモーセに言われた。「前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。
 34:2 明日の朝までにそれを用意し、朝、シナイ山に登り、山の頂でわたしの前に立ちなさい。
 34:3 だれもあなたと一緒に登ってはならない。山のどこにも人の姿があってはならず、山のふもとで羊や牛の放牧もしてはならない。」
 34:4 モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。
 34:5 主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。
 34:6 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、
 34:7 幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」
 34:8 モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、
 34:9 言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」

 34:27 主はモーセに言われた。「これらの言葉を書き記しなさい。わたしは、これらの言葉に基づいてあなたと、またイスラエルと契約を結ぶ。」
 34:28 モーセは主と共に四十日四十夜、そこにとどまった。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記した。

詩篇 32:1  ダビデの詩。マスキール。 いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
 32:2 いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
 32:3 わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
 32:4 御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は 夏の日照りにあって衰え果てました。
 32:5 わたしは罪をあなたに示し 咎を隠しませんでした。わたしは言いました 「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを 赦してくださいました。
 32:6 あなたの慈しみに生きる人は皆 あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも その人に及ぶことは決してありません。
 32:7 あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方。
 32:8 わたしはあなたを目覚めさせ 行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
 32:9 分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。
 32:10 神に逆らう者は悩みが多く 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
 32:11 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。

マタイ 18:10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。
 18:11 人の子は、失われたものを救うために来た。
 18:12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
 18:13 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
 18:14 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

 

 

 

イエス様は、百匹の羊を持っている人が、そのうちの一匹が迷い出たとき、九十九匹の羊を山に残してでも、迷い出た羊を捜しにいかないだろうか、と語られている。

これは、イエス様のなさることをたとえで語られているのであり、私たちもその思いにならって、一人の魂が救われるよう願っていくことの大切さを教えるものと言えるだろう。

しかし、このことは、イエス様だから言えることであり、私たち人間には、イエス様と全く同じようにはいかないこともある。

たとえば、イエス様は私たちを救うために十字架で死んで下さったが、私たちも同じように十字架にかけられて死ぬべきということではなく、むしろ、私たちにはできないから、イエス様が身代わりに引き受けて下さったということを覚えるべきであろう。

九十九匹を山に残してでも、一匹の羊を捜し求めるというのも、イエス様だからできることであり、私たちが真似をしようとしても、山に残された九十九匹の中から不平が出たり、結局は不完全なことしかできなず、かえって混乱をきたすことにもなりかねない。

イエス様は全能のお方であり、一匹の羊を捜し求めておられる間にも、残された九十九匹の一匹一匹にも心を留めておられるお方である。

誰一人、取り残されるようなことはない。

イエス様は、人にはできないことをして下さった。

そのことを覚えつつ、どこにいても、何をしていても、イエス様が私たちのことを深く愛し、見守っていて下さることを覚えたい。