申命記4章1~14節、詩篇112篇1~9節、1ヨハネ5章1~5節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記 4:1 イスラエルよ。今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得ることができるであろう。
 4:2 あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。
 4:3 あなたたちは、主がバアル・ペオルでなさったことをその目で見たではないか。あなたの神、主はペオルのバアルに従った者をすべてあなたの間から滅ぼされたが、
 4:4 あなたたちの神、主につき従ったあなたたちは皆、今日も生きている。
 4:5 見よ、わたしがわたしの神、主から命じられたとおり、あなたたちに掟と法を教えたのは、あなたたちがこれから入って行って得る土地でそれを行うためである。
 4:6 あなたたちはそれを忠実に守りなさい。そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である」と言うであろう。
 4:7 いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。
 4:8 またわたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。
 4:9 ただひたすら注意してあなた自身に十分気をつけ、目で見たことを忘れず、生涯心から離すことなく、子や孫たちにも語り伝えなさい。
 4:10 あなたがホレブであなたの神、主の御前に立った日、主はわたしに言われた。「民をわたしのもとに集めなさい。わたしの言葉を彼らに聞かせ、彼らが地上に生きる限り、わたしを畏れることを学び、またそれを子らに教えることができるようにしよう。」
 4:11 あなたたちが近づいて山のふもとに立つと、山は燃え上がり、火は中天に達し、黒雲と密雲が垂れこめていた。
 4:12 主は火の中からあなたたちに語りかけられた。あなたたちは語りかけられる声を聞いたが、声のほかには何の形も見なかった。
 4:13 主は契約を告げ示し、あなたたちが行うべきことを命じられた。それが十戒である。主はそれを二枚の石の板に書き記された。
 4:14 主はそのとき、あなたたちが渡って行って得ようとしている土地で行うべき掟と法をあなたたちに教えるようにわたしに命じられた。

詩篇 112:1 ハレルヤ。いかに幸いなことか 主を畏れる人 主の戒めを深く愛する人は。
 112:2 彼の子孫はこの地で勇士となり 祝福されたまっすぐな人々の世代となる。
 112:3 彼の家には多くの富があり 彼の善い業は永遠に堪える。
 112:4 まっすぐな人には闇の中にも光が昇る 憐れみに富み、情け深く、正しい光が。
 112:5 憐れみ深く、貸し与える人は良い人。裁きのとき、彼の言葉は支えられる。
 112:6 主に従う人はとこしえに揺らぐことがない。彼はとこしえに記憶される。
 112:7 彼は悪評を立てられても恐れない。その心は、固く主に信頼している。
 112:8 彼の心は堅固で恐れることなく ついに彼は敵を支配する。
 112:9 貧しい人々にはふるまい与え その善い業は永遠に堪える。彼の角は高く上げられて、栄光に輝く。

1ヨハネ 5:1 イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。
 5:2 このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。
 5:3 神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
 5:4 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
 5:5 だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。

 

 

 

掟とかルールと言った言葉を聞くと、なにか、それらの決まり事が人を縛りつけ、苦痛を味わわせるもののように思うかもしれない。

律法には確かにそういう側面があるかもしれない。

しかし、聖書で語られている神の掟とは、単なる律法の言葉だけでなく、実に、救いをもたらす福音の言葉をも含めて、神が決められたこと、ご計画され、実行し、私たちにあてはめられる約束事であるということを覚えたい。

つまり、律法は確かに人間の罪をあばき、これを悔い改めるよう迫るかもしれないが、その罪を悔い改めた先には十字架のイエス様の贖いがあり、イエス様が私たちの身代わりとなって死んでよみがえって下さったことを信じるならば、その信仰によって私たちは救いの恵みを受ける事になるのであり、ここまでのルールというか、約束までを受け取ることを含めて、神の掟を守るということなのである。

 

ローマ 5:12 このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
 5:13 律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。
 5:14 しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
 5:15 しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。
 5:16 この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。
 5:17 一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。
 5:18 そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
 5:19 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
 5:20 律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
 5:21 こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。