創世記9章1~17節、詩篇124篇、ヘブル11章32~40節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 9:1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
 9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。
 9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。
 9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
 9:5 また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。
 9:6 人の血を流す者 人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。
 9:7 あなたたちは産めよ、増えよ 地に群がり、地に増えよ。」
 9:8 神はノアと彼の息子たちに言われた。
 9:9 「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。
 9:10 あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。
 9:11 わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
 9:12 更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。
 9:13 すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。
 9:14 わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、
 9:15 わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。
 9:16 雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」
 9:17 神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」

詩篇 124:1  都に上る歌。ダビデの詩。 イスラエルよ、言え。「主がわたしたちの味方でなかったなら
 124:2 主がわたしたちの味方でなかったなら わたしたちに逆らう者が立ったとき
 124:3 そのとき、わたしたちは生きながら 敵意の炎に呑み込まれていたであろう。
 124:4 そのとき、大水がわたしたちを押し流し 激流がわたしたちを越えて行ったであろう。
 124:5 そのとき、わたしたちを越えて行ったであろう 驕り高ぶる大水が。」
 124:6 主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。
 124:7 仕掛けられた網から逃れる鳥のように わたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ、わたしたちは逃れ出た。
 124:8 わたしたちの助けは 天地を造られた主の御名にある。

ヘブル 11:32 これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。
 11:33 信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、
 11:34 燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。
 11:35 女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。
 11:36 また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。
 11:37 彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、
 11:38 荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです。
 11:39 ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。
 11:40 神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。

 

 

 

聖書には、ところどころ、恐ろしい裁きのことや迫害のことなども記されている。

しかし、それらのことは、聖書の語っている中心的なメッセージではない。

むしろ、最も大切なことを伝えるために、あえて語られていることと言えるのではないだろうか。

ノアの時代の大洪水の出来事も、普通に読めば、恐ろしい裁きの出来事のように見える。

しかし、私たちは、その後の時代に生きているものであり、大洪水を経て救われた人たちに向けて語られているのは、祝福の言葉である。

近年、世界情勢が混とんとしていて、大きな災害のニュースなども耳にするようになると、にわかに異端のグループの人たちが火発に活動をし始める。

不安を煽るのが彼らの常とう手段だからである。

しかし、宗教というのは、人々に不安をもたらすためにあるのではない。

平安を与えるためにあるはずであり、平安を与えるものでないのなら、それは邪悪なものでしかないだろう。

聖書には、神を信じる者は救われ、それによるシャローム(平安)を与えると約束されている。

そのために御子イエス様は十字架で死なれ、よみがえられ、永遠の命を与える約束を成し遂げられたのである。

ノアが約束の虹を見上げたように、私たちは、十字架の主イエス様を見上げて行けばよい。

 

ヨハネ 14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。